幼いころ、母に連れられてよく遊びに行ったお宅がありました。おじさんとおばさんは、いつも笑顔で迎えてくれました。私と弟と同じくらいの年頃の兄妹がいて4人で仲良く遊びました。幼なじみです。時には父も一緒におじゃまし、母はくつろいで楽しそうでした。
ある日、そのおじさんが自ら命を絶ったという報(しら)せがありました。詳しいことは話してもらえませんでしたが、母は、まるで身内が亡くなったかのように悲しみ、しばらくの間一人でおばさんに会いに行きました。それ以来、幼なじみの兄妹に会う機会はありませんでした。
母は、生前そのおばさんのことを「かけがえのない親友、命の恩人」と言っていました。3歳のころ、病気で母親を亡くし、戦争で父と兄を失った母は、ひとりぼっちになってしまいました。周りの人を気づかい、迷惑をかけないように真っ正直に生きてきたそうです。そんな母が20代のころ、大病を患いました。我慢強かったので、救急車で病院に運ばれたときは、腹膜炎で手遅れの状態でした。助からないかもしれないと言われたそうです。
幸い一命はとりとめました。でも、母はそれから3年間入退院を繰り返し、3回も大手術を受けたそうです。その間、退院しても看病してくれる家族がいないことを知っている友人が、自分の家に来るようにと言ってくれました。彼女は手術にも付き添い、退院する日には迎えに来てくれて、母を支え励まし続けてくれました。結婚した後も、退院した母を新居に迎え入れて身の回りの世話をしてくれたそうです。彼女がいてくれたから、母は生き続けることができたのです。
晩年、二人は編み物サークルに入り、編み物をしながらランチを楽しみました。ずっとずっと一緒に生きていました。母が86歳で他界した時、彼女は泣き崩れたそうです。
先日、その母の恩人が亡くなったという報せがありました。弟はお通夜に、私は告別式に参列しました。数十年ぶりに幼なじみと再開しました。優しくて面倒見の良いおばさんは、ひと回り小さくなって棺に納められていました。おばさんの頬にそっと手をそえて「母がお世話になりました。ありがとうございます」と、頭を下げました。おばさんがいなかったら、私もこの世に生を受けていなかったかもしれません。私にとっても恩人です。感謝の気持ちが溢れ出し、私は泣きました。
帰宅して母に報告しました。「お母さんの命の恩人に、しっかりお礼を言ってきたからね」。斎場には、母と一緒に編んだお揃いのセーターが並べられていました。