好きなことを仕事にすると、いつ辞めたらいいのかわからない」。 今の私の悩みです。
「アナウンサーになりたい!」という夢に出合い、幸運なことにSBS静岡放送でアナウンサーの第一歩を踏み出し、フリーランスとして長らくNHKの「きょうの料理」や関東地方向けのニュース番組のキャスターを務めることができました。決して順風満帆というわけではありませんが、両親は毎夕方私が出演する「イブニングネットワーク首都圏」を楽しみに観てくれました。その後、NHK文化センターやNHK学園で話し方講座や朗読講座を担当するようになると、全国から講演の依頼が舞い込み、スケジュール調整しながら飛行機や新幹線を使って全国を飛び回りました。
それが、新型コロナウイルスのパンデミックで仕事がぱたりと無くなりました。これが、私が初めて老後を意識したときでした。これからは孫のお世話をしながら旅行をするのも悪くないなと思いました。当時3歳だった孫を2泊3日ぐらいでよく預かりました。世間はコロナで静まり返っていましたが、我が家は笑い声にあふれていました。孫は老夫婦の生きがいなのだと実感しました。
そんな折、「八王子市学園都市文化ふれあい財団」の理事長職が回ってきて、八王子までの通勤生活が始まりました。コロナですから会食はないし仕事も限られています。組織をまとめる大変さを感じながらも、財団のPRビデオなど新しいことに挑戦しながら職員の声に耳を傾けました。「楽しい。私まだまだ頑張れる!」と、4年間の任期を務めることができました。送別会で大きな花束を抱えたとき、これからが私の老後なのだと思ったものです。
ところが、財団を離れると公民館から講演や講座の依頼をいただくようになりました。うれしい反面、新しい人間関係を結ぶのはエネルギーが要るなぁと、初めて少々気が重くなりました。そろそろ潮時かも⁉ でも、教室に行くといつの間にか元気になっているので不思議です。
年に数回行っているNHKの講座の発表会は会場の手配やチラシの印刷など準備が大変ですが、皆さんが緊張して幾分高揚した感じでスポットライトを浴びてマイクに向かっている姿を見ていると、私まで達成感を感じます。
先日、佐藤愛子さんの『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』を読みました。佐藤さんは、お医者さんに「書くのをやめたら死にますよ」と、きっぱり言われたそうです。なるほど! 1990年代に百歳の双子の姉妹として人気を博した“きんさん、ぎんさん”に、ディレクターがテレビの出演料をどう使うのか尋ねたら、「老後の資金にします」と答えたそうです。そうか、老後って100歳からなのね!