「先生、お久しぶり。おれ、もう治療をやめることにしたよ。辛いんだよね。抗がん剤の後は吐き気がして食べられない。体がだるいからどこへも出かけたくない、誰にも会いたくないんだよね。だから抗がん剤やめることにしたの。そうしたら食べられるのよ、おいしいのよ! 冗談の一つも言いたくなるわけよ。医者にも相談してそう決めたの。残りの時間笑って過ごしたいと決めたら、なんだか治っちゃった気分だよ」
そう言ってOさんは豪快に笑いました。Oさんは70代。10年ほど前にがんであることがわかりました。憎めないかわいらしさ(?)があり、人気者です。肝臓がんステージ4と診断されてもお酒はやめず「ノミニュケーションは大事なのよ」と高らかに笑ってみせました。
その0さんの決断に、私は割り切れない思いもありましたが、体調の良い日にランチをする約束をして電話を切りました。
そんな折、知り合いに勧められ日本尊厳死協会主催の講演会に行きました。ある男性医師の最期が紹介されました。彼は生前、延命治療はしないでほしいと家族に伝えていました。医者を辞めた後、認知症になり次第に会話もできなくなってしまいましたが、ご家族は担当医に延命治療はしないことを伝え、自宅で看取ったそうです。ご家族はこれでよかったと言っていました。尊厳死というのは、過度な延命措置を行わず尊厳を保ちつつ最期を迎えることで、安楽死とは違います。
いろいろ考えさせられました。私の義父は耳下腺がんで寝たきりになり、意識がなくなってからも3か月間ほど体にチューブを入れて延命治療をしました。治る見込みがないのに気の毒な気もしましたが、病院のベッドに横たわったまま、私たちの会話を聞いてくれていたのでしょう。互いに別れの準備ができたような気もします。
私の母は我慢強い人でしたから、がんが見つかった時は手遅れでした。がんであることすら母に言えず、入院してからは「真貴ちゃん、いつ帰れるかねぇ。早く家に帰りたいよぉ」と母は言い続けました。編みかけの私の赤いセーターを持って入院したのですが、完成することはありませんでした。言いたいことがあったはずです。家に帰りたいという母の願いを叶えてあげればよかった……。悔やまれてなりません。
どう生きていきたいかはよく考えるのに、どう死んでいきたいかは、考えたことがありませんでした。最期まで自分らしく生きていくためには、0さんのような決断も必要になるのかもしれません。元気なうちに考えておかなければと思いました。