「今の下校放送、良かったぞ! 将来はアナウンサーになるといいね」
5年生のときにかけられたこの一言が、“アナウンサーになりたい”という夢の種をまいてくれました。
種をまいてくれたのは、小学5,6年生担任の松浦一訓先生です。ラッキーなことに夢をかなえることができました。その恩師が亡くなったという知らせが届きました。86歳でした。
卒業してからも折に触れて電話しました。どんなことで電話したのか覚えていませんが、毎回私は先生のおっしゃることに共感し感動して、涙をこらえきれず、泣きながら話していました。電話を切るとすがすがしい気持ちになり、また頑張ろうと思ったものです。人を差別してはいけない、感謝の気持ちを持つこと、相手の立場になって考えてみること、努力することの大切さなど、生きる指針を教えていただきました。卒業するとき、白いハンカチにカラーペンで書いてくれた詩画は宝物です。「花がさくためにいろいろな苦しみがある。その苦しみは一体何だろう」。NHKのニュース番組を担当した時は、ニュースについてのコメントを考える際に“松浦先生だったらどんなことをおっしゃるか”と、考えを巡らせることもありました。
喪主の奥様から、告別式で弔辞を頼まれました。同級生はほとんどお通夜に参列したようで、告別式にはK君だけが来ていました。K君は「俺は、先生に出会えて本当に良かった。恩人だよ。俺、あのままだったらどうなっていたか、考えると恐ろしいよ。先生が俺をまっとうな人間にしてくれたんだ。どんなに感謝しても感謝しきれない」。そう言って涙ぐみました。そうだった、そうだった! 6年間同じクラスだったK君はいつも自由気まま、授業中も歩き回っていたっけ。4年生のとき、新任の女性の先生が担任になったら、泣かせてしまったこともあったっけ。人気者でもあるのですが、先生方を困らせる札付きの悪ガキだったのです。5年生になり、K君とまた同じクラスになりました。そのクラスを受け持ってくれたのが松浦先生でした。
第一印象は、怖い先生、厳しい先生でした。決まりを守らなかったり、人に迷惑をかけたりすると徹底的に叱られました。戦後の食べるものがなかった時代のことなどもよく話してくれました。ひと言ひと言が心にしみて私たちは涙しました。いつの間にか、皆先生が大好きになっていました。松浦先生は、一人一人の良いところを見つけ、それを伸ばしてくれたからです。それまで目立たなかったある男の子が、校庭の落ち葉掃除をした時、汗をかきながら懸命に働いていました。頼もしい!と、思いました。彼は自信がついたのか、成績も上がりました。私たちは魔法にでもかかったかのように、友達に優しくなり、凛々しい顔つきになり成長したのです。
告別式が始まる前に、先生の思い出話をK君としていたのですが、私が弔辞を述べるので、K君もひと言感謝の気持ちを伝えたらと言ってみたら、うなずいてくれました。私は、先生が書いた本の一部を朗読しながら感謝の言葉を伝えようと考えていました。「松浦先生、ありがとうございました」と、ひと言言ったら、背後で突然すすり泣く声が! まだ泣くところじゃないのに、いったい誰が泣いているの……? 泣き声はますます大きくなり、私まで泣き出しそうになりました。人目をはばからずに泣いているのはK君でした。私がK君を紹介しマイクを渡すと、彼は泣きじゃくって何も言えませんでした。優しい笑みを浮かべた先生の遺影の前で、二人で泣きました。K君が開式前に私に話したことを、私がK君に代わって伝えました。
「僕は、先生に出会えて本当に良かった。まっとうな人間になれました。先生に出会えて、人として生きる基本を教えてもらったから、今の自分があるのだと、心から感謝しています。松浦先生、ありがとうございます」
あの2年間で、私たちは本当に成長したし、私は目標ができて人生を切り開くことができました。それまで自信もなく、なんとなく過ごしていたけれど、主体的に生きることの楽しさを教えてもらいました。毎日学校に行くのが楽しくて、卒業式には全員で大泣きしたことを覚えています。
告別式には、教職員の方々もいらっしゃいました。「教え子にこんなに慕われていて、松浦先生は教師冥利に尽きるね」と言葉をかけてくださる方もいました。長い学生生活の中で、最も貴重なかけがえのない2年間でした。K君が大泣きしたおかげで、次から次へと抱きしめたくなるような思い出が鮮明に蘇ってきました。私の心、考え方、感性は、母と松浦先生でできていると言っても過言ではありません。
松浦先生は亡くなってしまいましたが、先生の教えは心に根を張って私を支えてくれています。こんなふうに感謝している教え子がおおぜいいるということを、お元気なうちにしっかり伝えておけばよかったと後悔しています。