「先生がお住まいの狭山市で朗読会をしようと思います」 「え、本当に!? それは大変だ。じつは具合が悪くて手術をしようか悩んでいてね、でも来てくれるなら元気にならなければ!」 「そうですよ!これからもご一緒できる機会をたくさん企画しますから」 「わかりました。生きる目標が見つかりました!」 力強い声でそう言って、さねとうあきら先生は電話を切りました。酸素吸入をしているとは思えないほど、響きのある良いお声でした。 昨年12月5日に狭山市市民会館で、朗読と歌による「さねとうあきらの世界」を行いました。児童文学と創作民話の神様のようなさねとう先生は、狭山にまつわる民話をまとめ、「狭山音頭」の作詞もしています。狭山音頭は手拍子したくなる覚えやすいメロディーです。合唱団のお子さんたちが元気よく歌ってくれました。さねとう先生は病院で発声練習もしたそうですが、退院することができず、出演が叶いませんでした。お見舞いに行くと、たくさんのチューブのようなものが体につながれていました。目には力があり「次回は必ず!」と、私の手を力強く握り返してくれました。 その半年後、リベンジしようと今年6月5日に再び狭山市市民会館で、さねとう先生の代表作「おこんじょうるり」の朗読会を企画しました。数年前、私は免疫不全症という難病であることが判明し、仕事を続けることが困難だと言われ落ち込んでいた時に「おこんじょうるり」という民話に出合いました。「声に出して読みたい!」と思い、意欲がわいてきました。だから、さねとう先生にも生きる目標をもっていただきたかったのです。 ところが、自宅近くの病院に転院したと聞いて安心した矢先、訃報が届きました。3月7日に81歳で亡くなってしまいました。6月5日は追悼公演になってしまいました。 あらためてさねとう先生の功績をまとめていたら、日の当たらない弱者に光を当て続けた先生の強い意志が伝わってきました。社会的に差別し続けられている団体から出版差し止め請求をされた本もあります。根気強く話し合いを重ねた結果、「さねとう作品の方向性を支持する」という合意を得られました。その後、さねとう先生は訴えた人たちが住んでいる所を訪ね、話を聞き、それをまた民話にまとめました。「おこんじょうるり」も、狐が読んだらどう思うかと考えて書いたとおっしゃっていました。さねとう先生の深い思いは、作品を通して、いつまでも私たちの心に生き続けています。