東京西部に位置する羽村市の消費生活センターが産声を上げて40年。それを祝う式典と記念講演の司会を、友人から頼まれました。彼女は、運営委員として消費生活センターに関わっています。食の安心安全を進める活動や、食育の授業や寸劇、被災地の支援活動など、多岐にわたった取り組みをしています。その活動に割かれる時間は長く、彼女は今、子どものいない叔父叔母の面倒も見なければならないので、消費生活センターはやめるつもりだと、言っていました。
打ち合わせに出向き、私は驚くことばかりでした。羽村市の消費生活センターは、全国で5番目、東京都では最も早く誕生したのだそうです。発足当時から消費者の自主運営方式をとり、運営を婦人会に任せたので、市民には勉強しなければ!という意識が芽生えました。公民館活動で活躍していた並木良(りょう)さんという女性がリーダーとなり、羽村市の消費者運動は大きく花開いていったのです。
式典で、そうした40年の活動を紹介するビデオが流れました。着物や割烹着、簡単服(夏のワンピース)姿の女性たちが、畳の部屋で話し合いをしています。その映像を見た来賓の市長は、「今は亡きおふくろがミニスカート姿で出てきたので、びっくりしました」と、ご挨拶の中でおっしゃいました。子ども達に、安全な食品を、美しい地球環境を残していこうと語る、当時の女性たちのひと言ひと言が、スーッと心に響いてきました。「人任せにしないで、まず自分が動き、コツコツ積み上げていくことが大事だと思っています」というメッセージは、耳に痛いものでした。決して声高に主張しているわけではないのに、600人もの来場者は、食い入るように画面を見つめていました。
懇親会には、市内のお豆腐屋さんが招待されスピーチをしました。AF2(合成殺菌・防腐剤、現在は使用禁止)を使わないお豆腐を作る運動に応え、安全なお豆腐を作り続けているのだそうです。消費者も、そのお豆腐を買うことで支えてきました。
私は、友人に「羽村市が消費者運動の先駆者だとは知らなかった。センターの活動は羽村市の宝だよ! 大変だと思うけれど、辞めないほうがいい」と、言いました。彼女のように、「もうやめたい、限界!」という思いを抱えながら、皆がんばったのでしょう。そんな消費者運動のおかげで、今の日本の食卓があるのです。次の50周年につながるように、未来に向けて、がんばれ!と、彼女の背中を押しました。