編み物が趣味だった母は、たくさんのセーターを編んでくれました。元気だったのに、1年前の2月に癌性腹膜炎で、あっという間に還らぬ人となりました。癌だとは知らず、腸のヘルニアの手術のために入院した母は、編みかけのセーターを持っていきました。私の赤いセーターです。金色の糸が混ざった華やかな毛糸です。アーガイル模様で、すでに前身ごろ、後ろ身ごろ、片腕が編みあがり、もう少しで出来上がるところでした。私が毎日病院に行くと、母は嬉しそうに「あと少しでできるよ」と言っていました。でも、そのセーターが編みあがることはありませんでした。
葬儀の後、自宅の建て替えのために引っ越しをしたり、アキレス腱の手術をしたり、歩くこともままならないなかで1年が経ちました。そんな矢先、編み物の先生から電話がありました。 「赤いセーター、できていますよ。都合のいい時にランチしましょう」
編みかけのセーターを仕上げてくれると、先生が申し出てくれたことを思い出しました。あの赤いセーターを見たら、きっと大泣きしちゃうだろうな…。母がいなくなった直後は、本当によく泣きました。日常の暮らしのそこここに、母の思い出があり、食事の支度をしていても、テレビを見ていても、ふとした拍子に母の言葉やしぐさ、笑顔が思い出され、ひとりで泣きました。
約束のランチの日、先生は、母が大好きだった幼馴染みを伴って来てくれました。母を編み物教室に誘ってくれた大親友です。私を見つけるや否や、母の大親友は、私に駆け寄り手を握り締め、泣き出しました。私も声をあげて泣いてしまいました。周りにいた人は何事かと思ったことでしょう。駐車場に車を停めて、あとから入ってきた先生も、涙ぐみながら私に手提げ袋を渡してくれました。母が死ぬ直前まで編んでいた、あの赤いセーターです。私はセーターを抱きしめて泣きました。そして着ていたセーターを脱いで、赤いセーターを着ました。あったかい! 私が両手を広げてふたりに見せると、「似合うよ、とっても似合うよ~」と言って、また泣くのです。久しぶりによく泣きました。でも、美味しい食事をしながら母の思い出話をしているうちに、涙は吹き飛び、心も元気になりました。こんなふうに母のことを語ることが供養になり、それによって残された私たちの心も癒されていくのだと思いました。
お母さん、セーター、ありがとう。大切に着るからね。