お世話になった小学校の担任の先生から薫り高いお線香が届きました。母が他界したことを知り、励ましの手紙と共に贈ってくださったのです。その手紙を読んでいたら、先生の温かい語り口調を思い出しました。
その先生は、小学5,6年生の時の担任でした。怖い先生でした。嘘をついたり、友達の心を傷つけたりすると、本気で怒りました。でも、不思議なことに、叱られると「ああ、本当に悪いことをしてしまった」と、心から反省できるのです。また先生は、誰にでも良いところはあると言い、それを引き出して、自信をつけてくれました。それまで目立たなかった子も活躍の場を見つけ、イキイキと輝き始めました。「怖い先生」が「大好きな先生」に変わるのに、そう時間はかかりませんでした。
先生は、よく「お話」をしてくれました。ある少年の父親は、バキュームカーの仕事をしていました。友達に知られたら、自分も「臭い」と言われるのでないかと恐れ、父親の仕事を恥ずかしいと思い、父親と口をきかなくなってしまいました。そこで、お父さんは、自分が働いている清掃センターに息子を案内し、堆肥作りの様子や、堆肥を使って植物を育てていることなどを話しました。それまで、父親の仕事が嫌で嫌でたまらなかった少年は、父親の仕事に誇りを持つようになったそうです。
またある女の子は、畑仕事をしている母親に、「真黒な爪、しわくちゃな手、お母さんは汚いから自分の物には触らないで!」と、言ったそうです。そこで先生は「お母さんの手」という詩を作り、その子に読んであげました。『お母さんの手は真黒だ/ふしくれだって しわくちゃだ/だって 誰よりも沢山働いた手だ/田の草取りを一生懸命やった手だ (略)なによりも なによりも ○○ちゃんのおしめもかえた/○○ちゃんをお風呂へも入れた(略)真黒でもいい/しわくちゃでもいい/誰にも負けない母さんの手だ/ぬくもりがある やさしさがある…』
その子は、涙をポロポロ流して「お母さん、ごめんなさい」と、言ったそうです。
私たちがケンカしたりする度に、こうした話をしてくださり、それを聞いて、思いやりの心や、命の重さ、人権意識を身につけることができました。まさに、毎日が道徳の授業でした。心を育む題材は、日常のあらゆる場面に散りばめられているのです。経済効率優先や学歴社会のひずみが、子どもの心の声に耳を傾ける大人の余裕を奪ってしまった為、道徳授業の必要性が叫ばれているのではないかと思いました。