「夫は歯科医をしていたのですが、東日本大震災の2週間ほど前に亡くなってしまいました。夫も私も東京生まれ東京育ちですから、告別式は東京で行いました。私が一人になってしまったので、親や友人たちは東京に戻ってくると思ったのでしょう。でも、私はこの町が好きなので帰ってきました。帰ってきて良かったと思っています。」
彼女は、そう言って私の目をじっと見ました。この町とは、女満別空港から車で2時間ほどの北海道湧別町です。湧別町では、毎年町民の方たちが実行委員会を結成して湧別町民大学を実施しています。講師選びから、当日の司会進行まで実行委員が担当します。その町民大学の平成25年度1回目の講師を務めさせていただきました。開学にあたり、実行委員長の挨拶がありました。湧別町の社会教育委員長をしている女性です。内容もさることながら、原稿も見ないで、表情豊かに堂々と話す姿に感心しました。明るくて何事にも積極的な姿勢が伝わってきました。
講演の後の懇親会で、その実行委員長から冒頭の言葉を聞いたのです。ご主人は、私の母と同じようにスキルス性の癌で余命6か月と言われ、「ありがとう」の言葉を伝えることもできずに亡くなってしまったというのです。笑顔の奥に隠された深い悲しみを、痛いほど感じました。
その話を聞いて、ふと思い出したことがあります。十数年前、町村合併する前に、上湧別(かみゆうべつ)町民大学で講師を務めたことがありました。その時聴きに来てくださった教育委員の男性が、「東京から腕のいい歯医者さんが、縁もゆかり所縁もない上湧別町に来てくれて、皆大変喜んでいる。奥さんも明るくてチャーミング」と、言っていたのです。もしや、あの時の歯医者さんでは…!? 尋ねてみたら、やはりそうでした。あの時の、あの歯医者さんだったのです。
医療過疎地で診察したいと、東京からやってきました。飾らない人柄から地元の皆さんに慕われ、大勢で集まって食事会なども、よくしたそうです。夫亡き後、どのように生きていったらいいのかわからなくなったと言っていました。そんな時、心の拠り所になったのが、社会教育で生まれたつながりだったそうです。
「会議や集まりの度に皆が声をかけてくれて、社会教育委員をしていたから乗り越えられたと思う。社会教育と出合えて本当に良かった!この町でたくさんの絆ができたから。」
今度は屈託のない笑顔で、そうおっしゃいました。