数年前、ある小学校の音楽の研究授業を参観しました。和楽器の音色を楽しもうという授業で、子どもたちは筝曲を演奏していました。巧みな演奏に感動しましたが、先生のイキイキとした表情にも心奪われました。よく通る明るい声で、子どもたちに指示しています。こぼれるような笑顔が、授業に躍動感を与え、音楽室中に、楽しそうに踊っている音符が溢れているようでした。私は、その先生のファンになってしまいました。
やがて副校長になり、彼女らしい気配りで学校運営に力を発揮していた矢先、体調を崩し入院することに……。肺癌で手術をしたそうです。予後が思わしくなく、休職してしまいました。子ども達が大好き、授業が大好き、学校が生き甲斐だと言っていた、あの笑顔が浮かんできました。
しばらくして、やっと退院したというので、校長先生方と自宅にお見舞いに行きました。笑顔で迎えてくれたのでホッとしましたが、呼吸が苦しそうでした。声も弱々しく、ひと言ひと言絞り出すように話していました。運動会はうまくいったか、子どもたちはどうしているか、話題は学校のことばかり。教え子からの手紙は宝物、学校に行けばたちまち元気になるに違いないと、言っていました。今は呼吸をする練習に専念して、必ず学校に戻りますと、きっぱりおっしゃいました。
でも、なかなか復職できませんでした。時折、近況を知らせる手紙をくださいました。書写の教科書のように達筆です。学習発表会にタクシーで駆けつけたら、子ども達の大歓迎を受けて感激したと綴られていました。いつ頃復職できそうか関係者に尋ねると、「容体が思わしくないので、無理かもしれない」という答えが返ってきました。私は、気が重くなり返事を書くことができませんでした。
ところが、彼女から突然、快気祝いの品が届いたのです。ジャムと紅茶でした。学校に戻ることができたという手紙が添えられていました。私は嬉しくて跳び上がりました。居ても立ってもいられず、仕事中かも知れないと思ったのですが、携帯電話に電話したら、あの快活な声が聞こえてきたのです。
「おめでとうございます!」私は、嬉しさのあまり泣き声になってしまいました。感涙にむせぶとはこの事だと思いました。完治したわけではないけれど、ひとまず寛解したので復職したと語るその声は、生きる喜びに溢れていました。
学校が、きっと治してくれる! 生き甲斐は、何物にも勝る薬だと確信しました。