先日、引っ越しをしました。自宅を建て替えるために、半年間、仮住まいをすることにしたのです。25年ぶりの引っ越しは想像以上に大変でした。
引っ越し先は狭かったので、入りきらない荷物を収めるために4畳のコンテナ(トランクルーム)を借りることにしました。初めのうちは、要る物、要らない物と分けてゴミを出しながら荷造りしていたのですが、引っ越しの日が迫ってくると、手当たりしだい段ボール箱に詰めるしかありませんでした。
引っ越し当日、当面使わない物をコンテナに運んでもらい、その後で仮住まいに荷物を運んでもらうことに。若い引っ越し屋さんは、まるで運動会のようにキビキビと頼もしく働いてくれました。
ところが、「奥さん、荷物入らないっすよ。もうこれ以上運ぶと、居場所がなくなっちゃうっす」と、言うではありませんか!? 仕方がないので、大きな本箱とベッドを2台置いていくことにしました。
2DKの新居に行ってみると、まるで春先に開通したての立山黒部アルペンルートのようでした。雪ならぬ、段ボール箱の壁の間は、歩くのがやっとでした。上手に積み上げたと感心しました。段ボール箱の上に布団を敷かなければ寝られないかも!?と、思ったほどです。
翌日、腕や腰の筋肉痛に悩まされましたが、ひたすら段ボール箱を開けました。中から出てきたものは、「なんじゃ、こりゃ?」という、いつか使うかもしれないと思い、大切にしまってあった物ばかり。何年間も着ていないスーツや、ホテルから持って帰ってきた石鹸やシャンプーの類、街角でもらったポケットティシュ……。不要な物がたくさんあって驚きました。なんでも一応取っておこうという、貧乏性の悲しい性が成し得た結果なのです。昨日の引っ越しは、ゴミを運んでいたの!? そんな虚しさが頭をよぎります。
初めて利用したコンテナ、自宅近くには空きがなかったので、少々離れた所になってしまいました。扉をあけると中は大変きれいでした。押し入れ代わりにしたり、出荷前の商品を入れる倉庫代わりにしたり、コンテナ人気の理由がわかりました。ゴミ処理費用が有料化される前に、コンテナの荷物も点検しなければ!
生きているということは、ひたすらゴミを生み出すことなのだと痛感しました。四半世紀ぶりの引っ越しは、自分の暮らしを反省する良い機会となりました。それにしても、最後のひと箱を開けても、まな板が入っていなかった時は情けなかったです。