「癌性腹膜炎ですね。余命1ヶ月…以内でしょう」 暮れに腹膜穿孔ヘルニアの手術を受けた母が、術後も嘔吐を繰り返し食べられなくなってしまい、医師から言われた言葉です。86歳。父亡き後、健康には気を配り人間ドックも受けました。入れ歯もないし、白髪も少なく髪も染めていません。健脚です。ところが、去年の秋ごろから食欲がなくなり、食べると嘔吐するようになり、胃カメラ検査などをしたのですが、ヘルニア以外の異常は見つかりませんでした。なのに……!?
入院した日は、ニコニコしながら編みかけの私の赤いセーターを抱え、張りのある声で冗談を言って、看護師さんを笑わせていました。いつもと変わらぬ母の笑顔。1月4日には一旦自宅に戻りました。ドアを開けるなり「マミー」と、猫の名前を呼ぶ母の嬉しそうな顔。猫も「ニャーッ!」と大きな声で鳴いて母に飛びつきました。5日には黒豆を煮てくれました。遅ればせながらお正月気分を味わい、弟夫婦や孫にも囲まれ、この幸せがずっと続くと信じていました。
ところが、ヘルニアの手術の際に採取した腹水を検査したところ、癌性腹膜炎であることが判明。1月10日に余命を告げられたのでした。母には言えませんでした。
母は、みるみる衰弱していきました。昨日まで歩いていたのに、今日は歩けなくなり、昨日までテレビを見ていたのに見られなくなり、昨日までお喋りしていたのに声が出なくなり、トイレに座ることも、自力呼吸もできなくなって酸素吸入が始まり、氷しか口にできなくなりました。がまん強い母が「痛い」「苦しい」と訴え、痩せていく様子を目の当たりにして、私は気が狂いそうでした。何の救いもなく、絶望感に押しつぶされながら、家族は皆必死でした。母の衰弱に気持ちがついていかず、私は仕事が手につかなくなりました。毎日車を運転し、高速道路を使って片道1時間かけて病院に行き、面会時間終了まで付き添いました。単身赴任中の夫も週末は病院に行き、おばあちゃん子だった息子も仕事が休みの日は、ずっと傍にいてくれました。弟夫婦もお見舞いに行きやすいように実家に泊りこみ、猫の世話をしてくれました。
母の最後の願いを叶えようと、弟が介護タクシーを手配し皆で協力して母を自宅に連れて帰りました。母の微笑む顔が見たかったのです。でも、母は朦朧としていました。
「きょうも生きていてくれて、ありがとう」一日の終わりは、いつも祈るような気持ちで朝を待ちます。お別れの為の準備期間の短さに愕然としながら、私は今日も笑顔で病室に向かいます。
(2013・1・27記)