「どうしましたか?」 白衣姿のその先生は、いつも優しい眼差しで語りかけてくれます。具合が悪くても、その顔を見るとホッとします。山口先生75歳。我が町の"梅ちゃん先生"です。
今の住まいに引っ越してきて、もうすぐ25年。子どもの誕生とともにやってきました。すぐ近くに山口医院があります。息子は幼い頃、よく風邪をひき山口先生に診ていただきました。私も疲れると喉が腫れて痛くなり、すぐに熱が出るので、いつもお世話になっています。NHKに勤めていた頃は、番組に間に合うように、わがままをきいていただいたこともありました。
待合室は、地域の顔なじみばかりです。お年寄りもいれば、赤ちゃんもいます。待合室で話が弾んでしまうこともあります。
息子が中学生だった頃、高熱が出たので山口医院に行ったら、若くてかっこいい男の先生が診てくれたと言っていました。私も、何回かお目にかかる機会がありました。大学病院に勤めている息子さんが、時々手伝いに来ているのだと言っていました。
息子さんと一緒に仕事ができて、山口先生は嬉しいだろうなと、勝手に想像していました。
その息子さんの姿をしばらくみかけないなと思っていたら、近頃は、山口先生によく似た若い女性のお医者さんが診療室にいるようになりました。
「お嬢さんですか?」と聞いたら、 「似ているみたいで、よく聞かれるけど、嫁なんですよ」と言って、 そのお嫁さんと目を合わせて静かに笑いました。
いずれは、息子さんかお嫁さんのどちらかが山口医院を継ぐのだと思っていました。
ところが、先日、近所の人が「息子さんは、亡くなってしまったらしい」と言うのです。
気になって、診察の折に受付の人に尋ねてみたら、お嫁さんがやってきて、「夫は、すでに5年前に他界した」と言うではありませんか!
小脳の癌で、快復する可能性はなく、本人も家族も、病名を聞いた時に死を覚悟したというのです。残された時間を、生まれ育った山口医院で地域医療にあたることに決めたそうです。
「ここで診察しながら、5年間も頑張ってくれました。余命宣告よりも はるかに長く生きたので、医者仲間も驚いていたんですよ。最期は、家族に見守られて、静かに息をひきとりました」
その言葉を聞いた途端、私はこらえ切れなくなって、泣き出してしまいました。医者なのに、我が子の病を治すことができなかったなんて……。
そんな悲しみを乗り越えて、我が町の"梅ちゃん先生"は、きょうも診察室で、穏やかに私たちを迎えてくれます。