古い手紙の束の中から、青空を背景にしたトンガリ屋根の写真が出てきました。蔦がからまる煉瓦の洋館、信州の碌山美術館でした。
大学生の頃、白馬スキー場の民宿でアルバイトをしたことがあります。その頃はスキーには興味がなかったので、1日だけあった休みの日に、電車に乗って碌山美術館に行きました。
雪が深いので訪れる人も少なく、静かでした。ふと背後から「ひとりですか?」と、声をかけられました。振り向くと、スラリとした長身の男性が立っていました。
遠山さんと名乗るその男性は関西にお住まいで、安曇野が大好きで、ひとりでよく訪れるのだそうです。四季折々の安曇野の写真を見せてくれました。家庭の事情で中学しか出ておらず、高校へ行きたかったけれど断念したと話していました。仕事については、話したくなさそうでした。
それから、手紙のやり取りが続きました。詩を書くのが趣味だそうで、暗い雰囲気の詩とともに、学歴コンプレックスについて綴られていました。漢字の間違いが目につきました。何通めかの手紙に、漢字の間違いを見つけたら教えて欲しいとあったので、私は、詩の感想と漢字について返事を書きました。
学歴がないことを悔やみ、しきりに卑下していたので、夜間高校への進学を勧めたところ、やる気になって、勉強するために机を買ったという報告がありました。手紙の内容は明るくなり、プレゼントが送られてくることもありました。
でも、しだいに私は就職活動に没頭し、遠山さんから手紙が来ても、なかなか返事を出しませんでした。やがて、手紙は来なくなりました。
数年後、駆け出しのアナウンサーの頃、番組で、働きながら夜間高校に通い頑張っている人を紹介したことがあり、遠山さんのことを思い出しました。下宿先の番号をみつけて電話したところ、遠山さんは夜間高校へ通うために引っ越したが、その後亡くなったようだと言うではありませんが! 喜んだのも束の間、私は胸が締めつけられる思いがして、涙がとまりませんでした。
昭和50年代、大学進学率はそれほどでもありませんでしたが、多くの人が高校へは進学していました。当時、中卒だと良い仕事に就くことは困難でした。あの頃は、夜間学校の人間模様を描いたテレビドラマも多くありました。
昨年度の定時制高校の生徒数は11万6千人だそうです。今でも、さまざまな事情で、働きながら高校へ通って頑張っている方達がいるのです。遠山さんの分まで応援したいと思います。