小学校の音楽室で見たバッハの肖像画は、髪をきれいにカールして小太りな感じでした。ドイツの作曲家だと習ったけれど、ベートーベンやモーツァルトに比べると馴染みが薄い作曲家でした。
新春に「国分寺チェンバークワイア」という合唱団の、創立20周年記念公演で司会を頼まれました。気軽に引き受けたものの、バッハを歌うというので、心配になりました。にわか勉強で手に負える相手ではありません。でも、解説者がいらっしゃるということで、ひと安心。
会場は、四ツ谷にある紀尾井ホールです。初めて紀尾井ホールの舞台に立ちました。客席は、オペラの鑑賞にも対応できるコの字型です。正面だけでなく左右にも客席があると、私はどうもハイテンションになるようで、開口一番、「紀尾井ホール、いいですねー」と言ったあと、口が勝手に動き出しました。
「キアイ(気合い)が、入ります」
会場から笑いが起こりました。クラシック音楽会の冒頭で、つまらないシャレを発してしまい冷や汗が……。でも、会場が肩の凝らない空気に包まれました。
解説の安田和信先生は、"バッハオタク"と言っては失礼ですが、バッハのことになると、時を忘れて語り出すような方でした。
バッハが子だくさんであったことには、びっくり! 二十数人もいて、そのうち音楽家として名を馳せたのは4人で、「ハレのバッハ」「ベルリンのバッハ」などと呼ばれています。当時はバッハ家に生まれたら音楽家にならなければいけなかったのです。200年間に多くの音楽家を生んだバッハ家。他のバッハと区別するために「大バッハ」と呼ばれています。
バッハの作曲した教会音楽は、4つのパートが、それぞれのメロディで別々の歌詞で歌うものが多く、勝手に歌っているような気がしますが、それらが音楽の束になって美しいハーモニーを醸し出しているのは、誰にも真似できないということも知りました。バッハはオルガン奏者でしたが、楽器を使って作曲したのではなく、頭のなかでメロディを創作し楽譜に書きとめていたと言われています。常に子どもたちの歓声や泣き声がしているなかで、バッハが作曲していたことを想像すると、大バッハが身近な存在に感じられます。声楽曲だけでなく器楽曲も作曲したバッハですが、後年は目の手術を受けたのにもかかわらず失明し、亡くなってしまいました。
合唱団と合奏団の魂のこもった演奏に、荘厳なヨーロッパの教会の中にいるような錯覚を覚えました。