大学生の頃、夏休みに福岡へ帰る友人を見送るため東京駅に行った時のことです。お土産を買いに行った友人をベンチで待っていたら、酔っ払いが叫びながらやってきました。昼間からお酒を飲むなんてどんな人だろうと、ちらっと見たら、目が合ってしまいました。慌てて目をそらしたのですが、時すでに遅く、その人は私の座っている真ん前にこちらを向いてどっかりと胡坐をかきました。近くにいた人たちは、さっと席を立っていなくなってしまいました。
「おい、ねえちゃん、何してるんだ?」 「友だちを見送りに来たんです。おじさんは何してるんですか?」 怖いもの知らずの私が話しかけると、 「仕事終わったから飲んでるんだ。一杯どうだ?」 そう言って、胸ポケットからワンカップ大関をさしだしてきました。私が固辞すると、またポケットにしまいました。悪い人ではなさそうです。 どんな仕事をしているのか尋ねると、海を越えて日本にきたけれど、仕事で失敗し東京駅に住んでいると言っていました。今でいうホームレスです。身分証明書を見せてくれました。「朴~」と書いてありました。 「俺は、東京駅の朴さんだから『東京朴』だ。おれを知らねえ奴はもぐりだよ」と、言って凄んでみせました。
読み終わった新聞や雑誌を集めるのが仕事で、ホームレスになる前の職業によって、持ち場が決まるのだそうです。一番偉いのが大学教授、次が銀行員、その次が朴さんで、新入りがくると、とっておきのお酒で皆で乾杯すると言っていました。故郷へ帰りたいと何度も言う朴さんに、お酒を飲みすぎないように、元気でいれば帰れるからと私が言うと、朴さんは涙目になりながら握手を求めてきました。 そして、これは内緒だと言って、近いうちに大仕事をするから、それで故郷へ帰ることができると話してくれました。周囲の心配そうな視線をよそに、私がその大仕事について尋ねようとしたら、誰かが通報したらしく、ふたりの鉄道警察隊が小走りにやってきて、朴さんを両側から抱えるようにして連れていきました。多少抵抗しながら「ねえちゃん、達者でな~」と言って、朴さんは飲みかけのワンカップ大関を残したままいなくなりました。 数日後、夕飯を食べながら見ていたNHKの「7時のニュース」で、「東京朴さんこと、朴~が暴力団事務所に押し入った」というニュースが流れ、びっくりしました。
あれから、30年。様変わりした東京駅にいくたびに、故郷へ帰りたがっていた朴さんを思い出します。