仲間とスキーに行った時のことです。2日間めいっぱい滑り疲労困憊、でもこれから車で帰らなければなりません。気を取り直して更衣室で着替えていたら、あとからやってきた白髪の女性が声をかけてきました。 「きょうはスキー日和でしたね。」
スキーに関するとりとめのない話をしたあとで、 「実は、私、きょう誕生日なんですよ。いくつになったと思いますか?」と、聞かれ、「60歳ぐらいですか?」と答えると、「実は…70歳です。」と、晴れやかな表情でおっしゃいました。ご主人と二人で岡山からスキーをしに来て、これから夜行列車で帰るということや、スキーの魅力について饒舌に語っていました。が、突然言葉に詰まり、小さな声で言いました。 「きょうが誕生日だということは、あの日以来言えなくなってしまいました。」
その言葉を聞いて、ハッとしました。その日は、1月17日。阪神淡路大震災から15年めにあたります。その女性は神戸出身。当時神戸には住んでいなかったのですが、友人が犠牲になってしまい、以来、誕生日は、冥福を祈る日に変わってしまったそうです。
震災から1週間後に、私も仕事で現地に行きました。メチャクチャに壊れてしまった家々が瓦礫の山と化し、はるか彼方まで見渡せるほどでした。欠けた小さなご飯茶碗にはアンパンマンの絵が描かれていました。グニャッと曲がってしまった三輪車のハンドル。この三輪車に乗っていたお子さんは、……。高校生らしき青年が、瓦礫の山によじ登り、黙々とアルバムなど家族の証しを掘り出し紙袋に入れていました。また、自転車をひいて訪れたお年寄りは、崩れた住宅をじっと見つめ、 「ここに、囲碁仲間がまだ埋まったままで……助けだしてあげられなくて……。毎日ようすを見に来ることしかできなくて……。」
ほんの少し前までは、そこに当たり前のように日々の暮らしがあったのに、一瞬のうちに打ち砕かれてしまった、あの惨状を思いだし目頭が熱くなりました。
すると、その女性は、 「今まで誕生日のことは口にしなかったけれど、70歳まで大好きなスキーができたことが嬉しくて、きょうは言っちゃいました。」 そう言ってニッコリ笑いました。
「亡くなった方たちの分まで長生きして、80歳の誕生日もスキー場でお祝いできるように頑張ってくださいね!」 外は夕暮れ、雪明りの中に、大きな荷物を抱えて佇むご夫婦に向かって、車の中から「おめでとうございまーす!」と手を振りました。