幾分ネコ背のその女性は、受付の人に伴われて私の話し方教室に入ってきました。その表情を見て、私は驚きました。まるで、今しがた医師から余命宣告を受けたような暗い目をしていたからです。眉間にしわを寄せ、唇を固く結び、俯いたまま顔を上げようとしません。私が挨拶しても、私の顔も見ずに、頭をさげただけでした。オドオドしながら椅子に座ると、今にも泣き出しそうな目を一瞬私に向けました。思いつめたようなその表情に、私はどう対処したらいいのか当惑の色を隠せませんでした。
間もなくお孫さんが生まれるというその女性は、子どものころから吃音に悩み、学校ではよくいじめられたそうです。自分の思うことや意見は一切言わず、目立たないようにいつも人の後ろをそっと歩くようにしてきました。当然、性格が暗いといわれ、ずっとコンプレックスを抱いてきたそうです。
その人が、私の教室の扉を叩いてくれたのです。一歩踏み出そうとしたその気持ちに応えようと、私も必死でした。彼女は、苦手な音になると、口をあけたまま固まってしまいます。私は、彼女の頬を両手で包み、「大丈夫! 落ち着いて、ゆっくり話してみましょう。」と言うと、うんうんうんと何度も頷き、また話し始めるのでした。もちろん、発声練習にも人一倍熱心に取り組み、あまりつかえることなく話せるようになってきました。しだいに、視線が合うようになり、笑顔の出番が多くなってきました。1年も経つと、別人のように明るくなり、マイクを持って話し始めると止まらなくなってしまう彼女の変身ぶりに、皆、目を見張りました。
ある日、趣味を紹介してもらったとき、彼女は、自分で書いた絵手紙や、布を編んで作った草履を見せてくれました。元々好奇心が旺盛なので、話し方に自信がついてくると、さまざまなことに挑戦する意欲が湧いてくるようです。教室では、時々、幼稚園に出向き、紙芝居や絵本を読んでいますが、彼女も紙芝居に挑戦すると言いました。まだちょっと無理かもしれないと私は思いましたが、彼女は、紙芝居を暗記するくらい何度も読んで練習しました。当日、抑揚のある大きな声で紙芝居を披露している彼女を見て、私は心の中で拍手を送りました。
楽しいこと、辛いことを自分の言葉で伝えられるようになると、人はこんなにも積極的になれるということを彼女は教えてくれます。心を閉ざしていた今までの時間を取り戻すかのように、彼女の挑戦は、まだまだ続きます。