母は、この秋83歳になりました。足腰も歯も丈夫。声も若々しいので、電話で話していると40~50代に間違われることもあります。
その母が、茶色に変色し、ところどころ破れている写真を見せてくれました。日本髪を結ったぽっちゃりした若い女性が映っています。あまりにも古いので、絵のようにも見えます。母に似ていると言ったら、嬉しそうに笑いました。自分の母親の唯一の写真で、娘時代のものですから100年以上前に撮影されたようです。祖母は母がまだ3つになった頃、病気で他界しました。また、セピア色の文金高島田の花嫁写真は、母、本人でした。紋付き袴姿の父とのツーショットは、こちらまで緊張感が伝わってくるようです。
古い写真を修復できると聞いたので、半信半疑、近所の写真屋さんに頼んでみました。数日後、できあがった写真を見て驚きました。白黒写真ですが、ついこの前撮った結婚式の写真のように、それは見事に蘇ったのです。父も母も55年前の自分たちの姿に興奮していました。戦災に遭い、たった1枚しか残っていない100年前の写真も、細部まではっきり浮かびあがりました。スタジオで撮影したのでしょう。背景には、山や川があり、木陰で、可愛い傘を持って、お清ましして佇んでいる祖母の姿が目に飛び込んできました。
写真が命を吹き返したことに気をよくした母は、奥からまた数枚の写真を持ち出してきました。今度は、兵隊さんの写真です。ひとりのものと、外で、大勢で並んで撮影したものがありました。
「兄さんの写真だよ。優しくて頭のいい兄さんだった。昼間、お父さんが働きに出るから、兄さんが毎日私の手を引いて学校へ行ったんだけど、いじめられてねぇ……。いつも兄さんがかばってくれた。ある時、石を投げられて、兄さんの額に当たって血だらけになって……。戦争が始まって、兄さんも出征して、これは、面会に行った時のもの。他の人はいろいろ手土産を持っていたけど、私は何も差し入れできるものがなくてね。兄さん、かわいそうだった。戦地で栄養失調で死んじゃった……。何ひとついいことなく、苦労ばかりして死んじゃった。」
輪郭さえもはっきりしないほど色褪せてしまった写真を前に、母は語りました。
デジタルカメラが登場し、気軽に写真を撮れる現代。あらためて1枚の写真が多くを語りだす瞬間を目の当たりにしました。「母を守ってくれて、ありがとう。」写真の中の青年に向かって、心のなかでつぶやきました。