古い手帳を手に取ると、セピア色に変色したプリクラが、ひらりと床におちました。
2㎝四方の枠の中で、まるで"おしくらまんじゅう"をしているような顔が4つ、ニッと笑って写っています。それは、NHKの番組スタッフで行った箱根旅行の時のものでした。お世話になった3人の女性スタッフとのさまざまな場面が蘇ってきました。でも、ひと際いたずらっぽく笑っている女性の所で、楽しい思い出の糸は切れました。
彼女は、事務のアルバイトで、初めのうちは口数も少なく、当たりさわりのない会話しかしませんでした。時々、左手首に包帯を巻いていることがありましたが、気にも止めませんでした。職場の雰囲気に慣れてくると、自分から話しかけてくるようになり、時には笑いの渦の中心にいることも。"ちょっと控えめで、素直で屈託のない人"というのが、私が彼女に抱いたイメージでした。
そんな彼女が、ある時、アナウンサーになりたいから個人的に教えてほしいと言ってきました。私は少々戸惑いました。アナウンサーという職業は、ある程度自己顕示欲が強くないと難しいからです。なぜ、アナウンサーになりたいのか釈然としないまま回数を重ねていくうち、彼女は私に話を聞いてほしいのではないかと思うようになりました。
しばらくすると、彼女は休みがちになり、アルバイトも個人レッスンも辞めてしまいました。彼女のことを忘れかけていた頃、沖縄の消印が押された、彼女からの手紙が届きました。分厚いその手紙を読んだ時の衝撃を、私は忘れることができません。そこには、心の病に苦しむ彼女の壮絶な戦いが綴られていました。自分がイヤで死にたくなり、そんな弱い自分と決別するため、新しいことに挑戦し、また挫折し……。その繰り返しで、彼女の左手首には、無数の傷跡があったのです。
私はすぐに、電話をしました。以前とは別人のような、か細い声の彼女がいました。器用に生きられない苦しみ、他人の言葉に深く傷ついてしまう悲しさ……。そんな彼女の話に、私は泣きました。彼女のように悩んでいる人は大勢いるはずだから、そういう人の励みになるように、自分の気持ちを書き留めて自費出版したら?と、提案するのが精一杯でした。その時は意欲をみせていましたが、数か月後、命を絶ったという知らせが届きました。
あの頃、誰も、彼女の心の闇を窺うことができなかった! セピア色のプリクラは、苦い思い出となってしまいました。