それは、10月の土曜日でした。朝起きて猫のミルキーを呼ぶと、返事がありません。厭な予感がしました。3日前に歩けなくなり、病院に連れて行くと、体重は1.2kg。子猫より小さくなってしまい、生きているのが不思議だと言われました。点滴をしてもらい、毛布でくるんで抱きかかえての帰り道、老描ミルキーは、久しぶりに見る外の景色に、ビー玉のような丸い目をしきりに動かしていました。 「ほら、ススキの穂だよ。風に揺れているね。ミルキーもこれにじゃれて遊んだね。」 毛布を通してミルキーの体温が伝わってきました。確かな命の手ごたえが愛おしく感じられました。数時間すると、ヨロヨロと立ち上がり、私の方に歩いてくるではありませんか! 生きようとする意欲に心打たれました。
思い起こせばこの3年間は、猫の介護でストレスの連続でした。腸の病気で衰弱してしまい、老齢のため手術もできず、病院通いが続きました。病状が落ち着いたと思ったら、粗相をするようになりました。近頃は、後始末に数時間かかることも。汚れたお尻もシャワーで洗いました。あれほど可愛かったミルキーを、叱っている自分がいました。
でも、遂にお別れの時がきてしまいました。ミルキーは、夕べ私が寝かせたままの姿勢で横たわり、嘔吐物で白い顔が汚れていました。抱こうとすると、グニャリとして全く力がありませんでした。私がいくら呼びかけても何の反応もありません。いつもは、長い尻尾で応えてくれるのに。でも、まだ呼吸はしています。それからの数時間、私は、体をさすったり、水を飲ませたり……必死でした。そして、最後に大きく息を吸うと、のけぞるようにして息を引き取りました。15歳と7か月。大往生です。私は、自分でも驚くほどの声で泣き続けました。
息子の産着が納めてあったきれいな箱を棺にし、庭に咲いていた黄色い百日草とアメリカンブルー、真っ白な秋明菊を摘んでミルキーの周りに飾りました。「ミルキー」と呼ぶと「ニャー」と応えてくれそうです。単身赴任中の夫やゼミ合宿で京都に行っていた息子も急遽帰宅し、翌日、ペット専門の寺院でお別れをしました。
帰宅すると、いつもミルキーが迎えてくれました。そこにいるのが当たり前だった家族がいなくなり、心にポッカリ穴があきました。 「ミルキー、行ってくるね。」
出かける時、小さな白い骨壷に声をかけます。玄関の扉を閉めるまで、身動きせずじっと私を見つめて送り出してくれたミルキーの姿が、目に浮かびます。