夜、救急病院のベッドの上で、私は覚悟を決めました。直前に医師から思いがけない言葉を聞いたからです。 「盲腸ではなく盲腸周辺の腫瘍の疑いが強いですね。その場合は、2~3日後に手術になります。」
もしかしたら、癌!? 精密検査の結果が出るまでの2時間余り、さまざまなことに思いを巡らせました。アナウンサーとしてまだ挑戦したいことがあるのに…私が先に死んだら両親は悲しむだろうな…息子の就職を見届けたかった…待合室にいる夫も心配しているだろうな。私を支えてくれた多くの方々に対する感謝の念がこみあげてきました。
ところが、検査の結果は、意外なことに小腸の炎症でした。手術を覚悟していた私は拍子抜けしてしまいました。夫の「食いすぎだろう!」のひと言に緊張感がゆるゆると解けていきました。
さて、それからが想像を絶する(ちょっとオーバー!?)闘いでした。治療は絶食すること。私にとっては"しゃべるな!"ということと、同じ位の苦痛です。点滴をしながら、水とお茶以外、一切口にしてはいけないというのです。食事の時間には部屋から出ないようにして、本やテレビで気を紛らわせました。テレビも突如グルメ特集になるから、要注意! それでも、2日間は耐えられました。3日めになると、頭の中は食べ物のことでいっぱい。会話の中に「そうしたいよね」と出てくると、『タイ焼き』がうかんでくるし、「好きだよね」というと『すき焼き』が浮かんでくるといった具合です。
お腹の痛みも和らいできたので、4日めからいよいよ食事開始。朝食に重湯が出されることになりました。前の晩から嬉しくて眠れませんでした。ところが、朝食の時間になっても私の部屋のドアは開きません。お昼前に看護師さんに尋ねると、手続きのミスで、私の重湯は用意されていないことが判明! もう悲しくて、がっかりしたのは言うまでもありません。結局、夕食に重湯が登場しました。ご飯粒もなく、糊をお湯でのばしたようなものでしたが、スプーンで口に運んだら、ご飯の甘い香りが広がりました。それから、5分粥、全粥と順調に進み、私の腸は、見事に復活してくれたのでした。
ウイルスか細菌が腸に入って炎症を起こしたようですが、抵抗力をつけることが一番、早寝早起きをしなければ!と決意し、深夜に書くことが多かったこの原稿も午前中に書いています。"食べてから出すまでは自分の責任"いつも講演でお話していることが身に染みた今回の入院でした。