「子どものころは、明日が来るのが楽しみでした。明日は何して遊ぼうか? 石蹴り、ままごと、かくれんぼ……。成長すると、宿題が終わっていなかったり憂鬱な仕事が待っていたりすると、明日が来なければいいのにと思うこともありました。年齢を重ねていくと、もしかしたら明日はもう来ないかもしれないと、不安になってしまうのかもしれません……。いくつになっても、明日を楽しみに生きていきたい! そんな思いをこめて、きょうのひと時をお届けします。」
5月23日に行った「トークと朗読の夕べ ~心も体も健やかに~」の冒頭でお伝えしたメッセージです。この日は、食生活ジャーナリストの佐藤達夫さんをゲストにお迎えし、癌や認知症にならないためには、どんなことを心がけたらいいのかお話していただき、私は、命や健康,老いについて私が書いたエッセイを読んだり、民話「おこんじょうるり」の朗読をしました。
実は、この会場に来るはずの人が、ひとりいました。彼女は、高校の国語の教師。朗読には興味があるから、ぜひ行きたい。楽しみにしていると、言っていました。でも、彼女の姿はありませんでした。
彼女は、息子のガールフレンドの母親でした。今年1月に初めて我が家に電話があり、「娘をよろしく」と、頼まれました。婚約しているわけでもないのに、よろしくと言われても……と、戸惑いましたが、子どもを通して知り合ったのも何かの縁、近々ランチでもしましょうと約束し、その折に「トークと朗読の夕べ」に来てくれることを約束したのでした。でも、ランチの約束すら果たせませんでした。
なぜなら、彼女は間もなく入院し、5月上旬に癌で亡くなってしまったからです。その半年前には、夫を癌で亡くしたばかりでした。彼女は、自らも癌と戦いながら夫を看取り、余命宣告を受けていたのに、誰にも告げず、還らぬ人となりました。娘ふたりを残し、どんな思いで入院したのでしょう。死にたくなかったに違いありません。「娘をよろしく」という言葉に託された、深い思いを感じました。なぜあの時、ランチの日程を決めなかったのか悔やみました。明日があると信じていたから、いつでもランチができると思っていたのです。
明日に希望の糸を紡いで生きていくことは、大切なこと。でも、明日がない場合もあるということを、彼女は教えてくれました。では、どうしたらいいのでしょう……。やはり、きょうという1日を大切に生きること、それが明日への希望の糸につながっていくと信じるしかありません。