結婚して間もない頃、静岡県磐田市に住む義父母が日光へのバス旅行の途中に東京の明治神宮で昼食をとるから、よかったら一緒にと、電話をくれました。その日はちょうどNHKの仕事が休みでした。
よく晴れた寒い日でした。久しぶりに会う義父母に、私はおしゃれして行こうと、真っ赤なジャケットにグレーのオーバーコート。“ちょっとそこまでランチしに”行く気軽さで、ハイヒールで出かけました。携帯電話もない20年前のこと、会えるかなと心配していたら、明治神宮の入口で、原宿駅の方をじっと見ているふたりの姿が。「よく来たねえ!」と、同時に言ったので笑いました。
3人で食事をし、遠足気分で盛り上がっていたら、母が、
「真貴子さんも一緒に行けたらいいのにね。」
そのひと言で、心がググッと動き、なんと!着替えも何も持たないまま、私は途中参加を決めたのでした。バスの運転手さんは驚いていましたが、本社に連絡してOKをとってくれました。私がバスに乗り込むと、皆びっくりしていましたが、私もびっくり! だって平均年齢が65歳ぐらい、町内の老人会の旅行だったのです。
「村松さん、可愛いお孫さんだねー。」と、誰かが声をかけると、母がいつになく大きな声で、
「孫じゃないに。嫁だに。長男の嫁の真貴子さんです。」と、紹介してくれました。おしゃべりしているうちに、日光に到着。東京は快晴だったのに、日光は大雪でした。ハイヒールで来たことを後悔しました。“ちょっとそこまで”が“雪の日光まで”になってしまったのです。東照宮にお参りするとき、父は私が滑らないように腕を貸してくれました。母は、スカーフを貸してくれました。お年寄りに囲まれた集合写真、私は真中でニコニコ顔で写っています。夜は大広間で宴会。母と一緒に温泉に入りました。
翌日の昼過ぎに、私はひとり東京でバスを降りました。
「寂しいやー。一緒に磐田まで帰れればいいのに。」
母の言葉に、ググッときましたが、“ちょっとそこまで”が“ちょっと日光から磐田まで”というわけにはいきません。私は、バスが見えなくなるまで手を振って見送りました。
あの時、勢いで、ノリの良さで日光まで行って、本当に良かった! 女優の中野良子似の母は、脳梗塞で2年前に還らぬ人となり、父はやはり脳梗塞で歩けなくなってしまいました。雪の東照宮をテレビで見たら、あの時、私の手を引いてくれた父と、長男の嫁だと嬉しそうに紹介してくれた母の顔が浮かんできました。