SBS静岡放送にアナウンサーとして入社し、連日の研修に緊張していた時のことです。
「この伝言を書いたのは、あなたですか? わたくしは"篠ヶ谷"(しのがや)です。"條ヶ谷"ではありません。」
その人は、ハイヒールをコツコツ響かせながらやってきて、報道制作局中に聞こえるような声で、私が書いた電話のメモを突きつけて言いました。有無を言わせないその迫力に怖気づいてしまい、曖昧なお詫びを言うのが精一杯でした。SBSには「東海道の鬼ばば」と呼ばれている辣腕女性ディレクターがいると噂には聞いていましたが、これほど怖いとは! これが、篠ヶ谷都さんとの出会いでした。
その苦手な篠ヶ谷さんから、ラジオの歌謡番組を担当してほしいと言われて、びっくりしました。毎回、ゲストにインタビューしながら進めていく30分の番組です。紅白歌合戦に何回も出場している歌手でさえ、篠ヶ谷さんには、ニコニコしてこちらの要望に応じてくれました。怖い人なのに、慕われているのが不思議でした。インタビューが下手でよく叱られ、いつも篠ヶ谷さんの顔色をみながら仕事をしました。
ある時、「インタビューが上手になったね。相手に対する気遣いができるようになった。」と、褒められました。あのときの嬉しさは格別でした。以来、褒められたい一心で頑張りました。いつの間にか、呼び方も"都さん"に変わっていました。
番組の収録が終わってから、スタジオで話し込むこともよくありました。都さんは、NHK静岡放送局放送劇団第1期生で、昭和30年にラジオ静岡(現在のSBS静岡放送)に入社したこと、男性ばかりの職場で頑張って切り開いてきたこと、つらい恋に心を痛め独身を通していること……etc。曲ったことが大嫌いで面倒見のいい都さんを、いつしか私も慕うようになりました。2年半しか勤めなかったSBSですが、都さんには、たくさんのことを教えていただきました。
その都さんが亡くなったという連絡がありました。定年退職後も、「静岡弁保存会」を主宰し、講演にも精をだしていた都さん。自宅で心筋梗塞に倒れ、数日後、弟さんに発見された時には冷たくなっていたそうです。享年79歳。賑やかなことが大好きで、いつも話の中心にいて皆を笑わせていた都さんの、あまりにも寂しい最期でした。数年前、私が静岡で講演したとき会場に来て下さり、都さんのカメラで記念撮影をしました。「写真できたら送るからね。」その約束を果たしてくれないまま、逝ってしまいました。