中学高校と6年間、息子のお弁当を作りました。夜寝る前に、翌日のお弁当のメニューを考えるのが日課でした。ある日、おかずの材料がなかったので、夕飯の残りのカレーライスをランチジャーに入れて持たせたことがありました。手抜きだと文句を言われるかと思ったら、 「きょうは、お弁当のとき大変だったよ。カレーの良いにおいがしたものだから、皆がひと口欲しい!って集まってきて、おかずを交換したから食べ過ぎちゃったよ。」 と、嬉しそうに言いました。口数が少なくなる思春期、こんなひと言に喜びを感じ、"よーし、明日もおいしいお弁当作らなきゃ!"と、頑張ったものでした。
私の母も中学高校とお弁当を作ってくれました。中学生になって初めて買ってもらったお弁当箱は、なんと!クラスの女の子の中で1番大きなものでした。四角いアルミ製で、まるで大工さんが持つような無骨(!?)なお弁当箱で、皆に笑われました。でも、私は平気でした。当時私は、バレーボールに夢中で食欲旺盛。ちょうどよい大きさだったのです。やがて、恋心が芽生え、蓋に絵柄のあるちょっと小さめの可愛らしいお弁当箱に変えてもらいましたが。
そういえば、中学生のとき、ご飯に牛乳をかけて食べていた男の子がいました。びっくりして周りの男子達が騒ぎたてました。 「おまえ、牛乳かけて、うまいのー?」 「気持ち悪いから、やめろよー!」
私達も、好奇の目で見て笑いました。彼は、お弁当箱に顔をうずめるようにして黙って食べていました。牛乳かけご飯は、毎日続きました。
やがて、誰も笑わなくなりました。彼のお弁当箱には、梅干しがひとつと、少しばかりのおかずしか入っていないことが分かったからです。それからは、時々、卵焼きやらコロッケやら、男の子達がおすそ分けしていました。
自分がお弁当を作るようになって、初めて親心が分かります。彼のお母さんは、切なかっただろうなあ……。もっとたくさんおかずを詰めてあげたかっただろうなあ……。でも、空っぽになったお弁当箱を見て、ホッとしたに違いない。お弁当は、親子の大切なコミュニケーションなのです。
たとえ真夜中でも、コンビニでお弁当が買える便利な時代。でも、おむすびの形がきれいでなくても、味がいまひとつでも、親の作るお弁当には、わが子を思う気持ちがたくさん詰まっています。無性に母のお稲荷さんが恋しくなりました。