猛暑の昼下がり、仕事に行くためJR中央線に乗りました。荷物は重いし、連日の講演で疲れていたので座れるといいなと思っていたら、その日は珍しく長いシートの端に座ることができました。お年寄りが乗ってこなければいいな・・・などと思いながらウトウトしていたら、中野駅に着いたとき私の左側に人の気配を感じました。
少し前かがみの小柄な女性が、バッグを肩から斜めにかけ、両手で握り棒をしっかり掴んで立っていました。足下がおぼつかないようすです。
「どうぞお掛けください」と、私は立ち上がりました。
ところがその方は、私の心を見て取ったかのように、 「結構です。次で降りますから。」 「でも、お掛けになったほうが楽ですよ。」
私は焦って、座るように勧めましたが、固辞するので再び腰を下ろしました。せっかく席を譲ったのに・・・・・・。気まずい思いをしながらも、母より年上であろうその女性のことを無性に知りたくなりました。
「おいくつでいらっしゃるんですか?」 「89歳です。」 「まあ! しっかりしていらっしゃいますね。」
それまで、キッと結んでいた口元が緩みました。私はすかさず次の質問を。
「どちらまでお出かけですか?」 「それがねぇ・・・」
私のほうに顔を近づけ、ご自分の右耳を指差しました。補聴器が入っていました。補聴器をなくしてしまい、新しいものを作るために予約をし、これから行くのだけれど、出掛けに洗濯機の下に落ちているのをみつけたそうです。洋服を脱いだとき一緒に外れてしまったことに気がつかなかった。年をとるってイヤですねぇ、と言って笑いました。
若さを保つ秘訣を尋ねると、「冬のソナタ」を見て以来、韓国ドラマが面白くて夢中になっていると言うではありませんか! 私も「冬ソナ」大ファンなので、話が弾みました。朝鮮半島に8年間住んでいて昭和19年に引き上げてきたことや、連れ合いは40年も前に亡くなってしまったが、韓国ドラマを見ていると若かりし頃のふたりの思い出が重なることがあって嬉しいということなど、初めて会ったとは思えない勢いで話してくださいました。
5分間はあっという間に過ぎ、新宿駅に到着。パスポートを取って、冬ソナのロケ地を訪ねたいとおっしゃるその瞳は、すっかり乙女のようでした。だから、足腰を鍛えるため、電車に乗っても座らないようにしているのだそうです。大正、昭和、平成と生きてきた女性の底力に圧倒された5分間でした。