久しぶりにラジオを聞いたら、坂本九さんの「涙くんさよなら」が流れてきました。その瞬間、胸が締め付けられるような思いにかられました。
NHKのラジオ番組「NHKジャーナル」を担当していたときのことです。夜10時からの生放送に向けて打ち合わせが進み、デスクの冗談に笑っていたら、羽田から大阪に向けて飛び立った日航機がレーダーから消えたという第一報が飛び込んできました。そのときは、まさか墜落しているとは夢にも思いませんでした。でも、事態は最悪の結果に。乗客名簿の中には歌手の坂本九さんの名前もありました。日航機は群馬県御巣鷹の尾根に墜落。生存者はわずか4人。乗員乗客520人が亡くなるという最悪の航空機事故になってしまいました。
その1年後、1986年8月12日の番組で、私は遺族の方に電話でインタビューすることになりました。悲しみにくれる人に胸の内を伺うのは気の重い仕事です。数人に電話をして出演交渉しましたが、次々に断られてしまいました。話す気になれないというのがその理由です。私は途方にくれましたが、ご主人を亡くしたというある女性が、「泣きだしてしまうかもしれないけど、それでもいいなら」という条件付きで応じてくださいました。
その方は、ご自身が書いた詩を読んでくださいました。そばにいて当たり前の人が、ある日突然いなくなってしまったことに対する戸惑い、憤り、絶望感、そして、会いたくて会いたくてたまらないという思いが、痛いほど伝わってきました。
「週末には、ふたりでお酒を飲みながらお喋りし、気がつくと夜が明けてしまったこともありましたね。」
目の前にご主人が居るかのように語りかけるので、私は涙があふれ、相槌も打てなくなってしまいました。
ついに、言葉が途切れました。涙で声をつまらせてしまったからです。私は何か言わなければ…と、思ったのですが、我慢できずに、しゃくりあげてしまいました。すると、彼女は声を上げて泣きだしてしまったのです。
「すみません・・・思い出すと、会いたくなって…でも、もう二度と会えないんです・・・。ごめんなさい。もう話せません。」
アナウンサーとしてのキャリアも浅かった私には、どうしたらいいかわからず、一緒に泣くことしかできませんでした。
あの事故から22年。あの女性は涙君にさよならできたかしら。今でも亡きご主人に語りかけているのでしょうか。