頭蓋骨と頭皮の間に1本の導火線が…。右側の首の後ろから右目にかけて仕掛けられた導火線が、時々火花を散らす。始めは線香花火だったのが、やがて打ち上げ花火に…。心臓が止まりそうになるほどの痛みが頭を貫き、ただごとではないと思った……。これが、髄膜炎の始まりでした。
偏頭痛が気になりながらも、薬でなんとかしのいでいたら、3日目に熱がでて、翌日には40度近い熱と強烈な頭痛! 動くこともできず、単身赴任中の夫に急遽帰ってきてもらい、救急病院に直行しました。
息も絶え絶えに、両脇を抱えられるようにして診察室に入ると、そのまま診察台にぐったり。それでも気丈にこれまでの経過を詳細に話し、インフルエンザか、帯状疱疹か、髄膜炎だと思うと医師に告げました。インフルエンザと帯状疱疹でないことはわかりましたが、髄膜炎だけは検査しませんでした。
血液検査の結果を待つ間、大病院の廊下の長椅子に横になり意識が朦朧とする中で、付き添いで来ていた男性の甲高い声が耳障りで、話し方がなってない! と文句を言っていたのを覚えています。病名が判明したのは、それから3日後の深夜でした。
知り合いの病院に緊急入院させていただき、それから1週間は頭痛と高熱との戦いが続きました。そんなある夜、いつものように頭の中で打ち上げ花火が上がり始めたので、薬と水枕をお願いすると、
「かしこまりました。水枕は、レア、ミディアム、ウエルダン、どれにしましょうか?」
「はあ…?」
日テレのアナウンサーだった福澤朗さんに似た男性看護師が立っていました。ステーキを注文したかのような返答に、気持ちがほぐれ、私は声をあげて笑いました。
水枕も氷の割合で硬さが変わるので、好みに合わせて作ってくださるというのです。ミディアムを注文すると、朝まで程よい冷たさで、花火の点火を抑えてくれました。病室に来るたび、彼は必ずこう言います。
「何かあったら、いつでも遠慮しないで呼んでくださいね。遠慮してたら治りませんからね~。」
"言わずもがな"の言葉ですが、そう言われると安心するから不思議です。
また、主治医は、私の不安そうな顔を見るたびに、魔法の言葉をかけてくださいました。
「大丈夫! 治りますよ。任せてください。」
そんな言葉に勇気づけられ、更に手紙や携帯電話のメールに励まされ、頑張ることができました。病気になって、改めて感じた言葉の力。そんな言葉の花束を胸に12日後、退院することができました。いつまでも枯れない花束に感謝!