小学5年生のとき、男の子が転校してきました。東北訛りを悟られないように、うつむきながら小さな声で挨拶しました。頬がポッと赤くなるのが遠くからでも分かるほど色白で、どこか寂しげでした。体育は得意だけれど勉強は苦手というその転校生は、いつまでたっても心を開きませんでした。笑うこともなく、どこに住んでいるのか、なぜ転校してきたのかも謎でした。
昼休み、何気なく歩いていた渡り廊下で、私はハッとして足を止めました。校舎の影で、その転校生が妹や弟達と、母親らしい女性の胸に顔をうずめて泣いていたからです。子ども心にも"見てはいけないところを見てしまった"気がして、あわてて引き返しました。5時間めが始まっても、彼は戻ってきませんでした。母親に再会できて彼に笑顔が戻ると思ったら、実際はその逆で、あれが母親との悲しい別れだったようで、彼はますます心を閉ざしていきました。なんとか励ましてあげたい!でも、小学生の私にはどんな言葉をかけたらいいのか分かりませんでした。
中学2年生のとき、同じクラスになりました。眉を細くカットし、今にもずり落ちそうな学生服のズボン。不良っぽくなり学校も休みがちな彼は、いつも何かに怒っているような感じで、ほとんど口もきかなくなりました。文化祭で私達は創作劇をすることに決め、全員が何らかの形で参加することにしました。でも、彼が何をしたいのか怖くて聞けません。すると、放課後教室で練習しているところへ彼がやってきました。 「俺、新聞配達してるから手伝えないけど、店にドライアイスあるから、ドライアイス用意するよ。」
私達は一瞬沈黙した後、飛び上がって喜びました。私達があまりに喜んだので、彼は戸惑いながら笑いました。初めて見た笑顔でした。ドライアイスはもちろんですが、彼が気にかけていてくれたことが嬉しかったのです。
その後もケンカなどを繰り返し、卒業後、彼は消息を絶ちました。やくざになったとか、交通事故で亡くなったとか、厭な噂を耳にしました。
そんな転校生がいたことを思い出すきっかけが、ある日訪れました。脚本家の山田太一さんと対談することになり、あらためて代表作「ふぞろいの林檎たち」のビデオを見たら、最終回のタイトルが「胸をはっていますか」だったのです。これだ!彼に伝えたかった言葉。形が悪くても、林檎は林檎。胸をはって堂々と生きていけばいい。「胸をはれ」なんと温かい、力強いメッセージでしょう。1度しか見たことがない彼の笑顔が、記憶の彼方から浮かんできました。