大学に入学して間もない頃、私立中学を受験する女の子の家庭教師を頼まれました。大手進学塾のテキストはかなり難しく、遊びたい気持ちを抑えて受験勉強に打ち込む小学生は痛々しく感じられたものでした。
初めてそのお宅にお邪魔した時、母親は、「娘は中高一貫校でゆったり学び、推薦で大学に進学させたい。」と、強い信念を持っていることを私に伝えました。責任を感じながら通っているうち、私は家庭教師の日を心待ちにするようになったのです。というのも――。
夕食どきになると、台所からおいしそうな気配が。ドアをノックする音が聞こえると心ウキウキ! それほど、そのお宅の食事は、おいしかったのです。
まるで旅館のように大きなお膳に、色とりどりの料理が並び、主菜に副菜が3皿、ご飯にお味噌汁、更に果物まで。たとえば、鶏肉団子は、サクサクした菊の花びらのようなもので覆われています。春雨を短く切りそろえてまぶしたものを油で揚げたのだそうです。手間をかけ心を込めた料理は、苦手なものまで食べられてしまう力を持っていました。
ある時、「真貴子さんは、残さず食べてお行儀がいいわ。作り甲斐があって嬉しいものよ。」と、おっしゃいました。食いしん坊なだけなのですが、この言葉は、結婚して夫や子供に食事を作るようになってから実感しました。
2月、いよいよ受験。彼女は見事合格! 嬉しい反面、"あの食事ともお別れ"と思うと、複雑な心境でした。でも、妹さんも受験するからよろしくという嬉しい知らせが。私にとっては、2重の喜びでした。
妹さんが合格した後も折にふれて遊びに行き、料理だけでなく編み物まで教えていただきました。良妻賢母で、料理上手、素直な子どもにも恵まれ、幸せを絵に描いたような女性でした。
ところが、私が就職活動を始めたとき、 「女性はね、仕事を持たなきゃダメ。私は仕事を持たなかったから不幸よ。つまらないもの。子どももいつかは離れていくし。真貴子さんは、一生続けられる仕事を持って頑張りなさい!」 耳を疑うようなひと言でした。
アナウンサー試験に合格したことを、我が事のように喜んでくださったその数年後、その方は、癌で亡くなってしまいました。あの頃教わった料理の数々は、今私の得意料理になっています。家庭教師に行ったお宅で、料理を食べる楽しさと作る喜び、そして、女性の生き方まで教えていただきました。あの方こそ、私の家庭教師でした。