1943年8月に撮影された写真。そこには、当時、上野動物園の人気者だった象のトンキーとワンリーを中心に、ふたりの飼育係、それに動物園の職員数人が写っています。戦況が悪化してきたため、猛獣を処分するように命が下された直後に撮影されたものでした。自分たちの行く末を知る由もなく、2頭の像は頭を振って機嫌が良かったそうです。これが、トンキーとワンリーの最後の写真となりました。その後2頭は、毒入りの餌を一切食べようとせず、水も与えられず、あいついで餓死してしまいました。芸をしたら餌がもらえるかと、足を折りまげ鼻を高々とあげて餌をねだったことも……。 見るに見かねて飼育係がバケツで水をそっと運んだこともありました。動物達が姿を消すたびに、飼育係も職員も無口になっていきました。
そんな戦中戦後の上野動物園のようすを綴ったエッセイを、先日上野動物園のホールで朗読しました。40年余り管理課や飼育課で働いていた澤田喜子さんが、書きためていたものです。
戦争前、象は幸せでした。毎朝、飼育係に連れられて園内を散歩し、澤田さんがいた案内所にもおやつのサツマイモをめざしてやってきました。時々あわてて、案内所の屋根に頭をぶつけてしまうこともあったとか。象の舌はお豆腐のように柔らかかったそうです。また象は神経質で、頭上を飛行機が通ると、怖がって、尾をピーンとのばして頭を振り、大きな体を案内所の軒下につっこんで隠れようとしたそうです。
澤田さんのみずみずしい感性と動物に対する温かい眼差しで綴られているその原稿を初めて読んだとき、私は泣かずに朗読できるだろうかと心配でした。象が餓死してしまうところでは、毎回、涙が溢れて声がつまってしまうのです。当日、会場の明かりが消えて、スクリーンに当時の写真が映し出されました。私は心をこめて読みました。会場からすすり泣きの声が聞こえてきたとき、思わず泣きそうになりました。
なにも知らない動物たちが命を絶たれることに憤りを感じながらも、どうすることもできなかった苦しい思いが、ひしひしと伝わってきます。読みながら私は、たまらなく澤田さんに会いたくなりました。でも、叶わぬ夢なのです。澤田さんは、去年の12月にこの世を去りました。自分が死んだら、この原稿も一緒にお棺にいれて焼いてほしいというメッセージを残していました。その原稿が、告別式に参列した上野動物園の小宮輝之園長の目にとまり、灰になるのを免れたのです。
何度も書き直されている澤田さんの原稿用紙に向かって、「いまは平和だから安心してね!」と、私は心の中でつぶやきました。