故郷は東京の八王子市。今でこそ学園都市として発展を遂げていますが、私が子どもの頃は、まだ田んぼや畑がたくさんありました。春になると当たりまえのように蓮華草やシロツメクサが咲きそろい花冠などを作って遊びました。そんな故郷の忘れられない風景のひとつに大和田橋があります。多摩川の支流、浅川にかかる橋です。今では考えられないことですが、小学生の頃、橋の下で水遊びをしたこともありました。橋の上から眺める富士山は絶景です。その橋を時にはスキップしたり、泣きながら渡ったこともありました。嫁ぐ前の日には母と手をつないで歩きました。母の手の小ささに胸がキュンとなりました。多くの人々がさまざまな思いを抱いて渡ってきた大和田橋。今では改修されて、おしゃれな姿になりました。
その橋の舗道の入り口4ヶ所に「焼夷弾・弾痕の保存について」という案内板が設置されています。昭和20年8月2日未明に八王子市街も空襲に見舞われ、米軍機180機が焼夷弾を落としました。降り注ぐ焼夷弾で450人の死者と2千人あまりの負傷者がでました。その時、大和田橋の下に逃げ込んで、多くの人が命を取り留めたと記されています。舗道の色を変えて、焼夷弾の跡を今に残しています。そこにあるのが当たり前で、今まで気にも留めなかった小さな橋にも、歴史があるのだということを知りました。
故郷の橋を調べてみようと思ったきっかけは、「子ども橋サミット」のコーディネーターを務めたことでした。旭橋(あさひばし)・日本橋(にほんばし)・萬代橋(ばんだいばし)・蓬莱橋(ほうらいばし)・錦帯橋(きんたいきょう)・照葉大吊橋(てるはおおつりばし)・かりこぼうず大橋(おおはし)。全国の小学6年生14人が、地元の自慢の橋を紹介してくれました。
402歳になる東京の「日本橋」は、毎年夏に地元の人達が橋をきれいにしようと「橋洗い」をしています。頭上を高速道路が走っているので、青空が欲しいと訴えていました。静岡県島田市にある「蓬莱橋」は、暴れ川といわれる大井川にかかる橋で、世界一長い木の橋としてギネスブックに載っています。橋を造ってくれた人に感謝し、橋で亡くなった人を供養する「ぼんぼり祭り」があるそうです。また、渓流から吊り橋まで142mもあり、吊り橋の高さ日本一を誇る宮崎県綾町の「照葉大吊橋」は、そこを渡ることで眼下に広がる照葉樹林(椎、樫の木など)の素晴らしさを知ることができます。多くの人に渡ってもらい、伐採の危機から守っていきたいと呼びかけていました。
橋を見つめることによって、その地域の歴史や産業、人々の暮らし、文化、環境問題などが見えてくるのです。「子ども橋サミット」は、橋が、人と人、物と物、現在と過去とを結び、さらに未来を考える「架け橋」となることを教えてくれました。あなたが渡っている橋は、どんな橋ですか?ちょっと立ち止まって、橋の声に耳を傾けてみてはいかがでしょう。