引き出しの片づけをしていたら、見覚えのない封筒が出てきました。中にはしわくちゃの百円札が3枚。わあ、懐かしい。昔は100円がお札だったなんて! でも、なぜ、こんなにしわくちゃなんだろう……? その百円札を眺めていたら、突然切なくなるような記憶がよみがえってきました。
実家の茶の間は4畳半しかありません。でも、日当たりがよく、たいへん居心地のいい場所です。私が子どもの頃、その茶の間には、いつもご近所のお年寄りが入れ代り立ち代りやってきて、ひがな一日お茶を飲んでは、おしゃべりしていました。その中心には、いつも祖母がいました。子どもの頃は、一緒にお菓子を食べるのが楽しみでしたが、昔のことですからお茶菓子がお漬物だったりすることも。そんな時には、すぐに退散したものでした。
中学生になると、それが疎ましく感じられるようになりました。家に帰ったら、茶の間でのんびりしたいと思っていたのに、当たり前のようにお年寄りがいて、私は不機嫌になることもありました。なかに、ひとりだけ毎日やってくるおばあちゃんがいました。お昼過ぎにやってきて、日暮れまでずっと我が家で過ごすのです。10年近く通っていたでしょうか。初めの頃は私も、よく一緒におしゃべりしていましたが、やがてうっとうしく感じられるようになりました。いつも着物姿のそのおばあちゃんは、なにも話さずタバコを吸っていたり、昼寝していることさえあります。あるとき、帰宅した私をみて、ニコッとして「まきちゃん、おかえり」と、言ってくれたのに、私は挨拶もしないで2階へ上がってしまったことがありました。
それからも毎日、雨が降ってもやってきました。ある日、私が帰ると、そのおばあちゃんがひとりでいました。母も祖母も買い物に行ってしまい、留守番を頼まれたと言っていました。私が久しぶりに一緒にお茶を飲もうとしたら、いきなり腕をつかんできました。
「まきちゃん、いつもありがとうよ。毎日来てごめんね。嫁が来てから居場所が無くてね。」
そう言うと、私の手に何かを握らせました。それは、百円札でした。しわくちゃの百円札が3枚私の掌にありました。
「ダメだよ、受け取れないよ。」
私は必死で返そうとしました。でも、受け取ってもらえませんでした。私に渡そうと毎日懐に隠していたのでしょう。あまりにもしわくちゃな百円札でした。うっとうしいなんて思ってごめんなさい。毎日来ていいからね……。私は涙がこぼれそうになりました。80歳をすぎたお年寄りからいただいた300円は、なによりも重く感じられ、引き出しの奥にしまっていたのでした。