家の近くの駄菓子屋さんが店じまいしてから、5年近くになるでしょうか。なぜか「キリン堂」と呼ばれているその店先からは、いつも子ども達の声がきこえてきました。お小遣いがもらえなくてお菓子を買えない子がいると、おばちゃんは、そっと10円玉を渡してあげたそうです。だから、社会人になって初めてのお給料で、おばちゃんにプレゼントを買ってくる子もいました。子どもが生まれると、おばちゃんにお披露目にきたり、「俺、おばちゃんの目を盗んで、お菓子を失敬したことがあったんだよ。ごめんな。」と、万引きしたお詫びに、お小遣いをくれる子もいたそうです。80歳をすぎて体調をくずし、泣く泣くお店をしめました。それ以来、通りからふっつり、子どもたちの姿が消えました。
先日、シャッターを下ろした店の前の縁石に腰掛けて、通りを眺めているおばちゃんを久しぶりにみかけました。幾分丸くなった背中に向かって声をかけると、人懐こい笑顔が返ってきました。「ね、まきちゃん、あがって、お茶飲んでいってよ!」いつにもまして強引なおばちゃんに引っ張られて、私はおじゃますることにしました。
お店の中は以前のまま、買い手のない駄菓子が並んでいました。その奥に茶の間があります。初夏だというのに、相変わらずコタツがありました。わが子もここへあがりこんだことがあります。学校から帰ったら鍵がかかっていて家に入れず、べそをかきながらキリン堂に行ったからです。おばちゃんが、お菓子をたくさんくれたそうです。窓のない薄暗い部屋ですが、子どもたちの憧れの場所だったのです。足の踏み場もないほど、物が積み上げられています。よく見ると、それは日光東照宮の置物だったり、キーホルダーだったり、金閣寺のジグソーパズルだったり……。
「おばちゃん、お店やっていたわりには、ずんぶん旅行しているんだね。」 「違うよぉ。みんな子どもたちの修学旅行のおみやげだよ。」
埃をかぶったおびただしい数のおみやげに、私は圧倒されました。
「ほら、これも宝物。」
そう言って見せてくれたのは、広告の裏紙で作った何冊もの「落書帳」でした。なかには、学校をさぼったことや、親に叱られたこと、ケンカした友達に詫びる言葉や、エッチな落書きなどが書かれていました。大切にとっているおばちゃんの気持ちを思うと、涙でかすんで読めなくなりました。
連れ合いをなくしてから始めたという小さな駄菓子屋さん。40年もの間、子ども達を見守ってきました。そこは、家庭や学校ではみせない子ども達の思いがいっぱい詰まった、タイムカプセルのような空間でした。