「もしもーし、誰だかわかるかね?」 電話から聞こえてくるお国訛りの女性の声。懐かしい響きに私の頭の中をグルグルと記憶が駆け巡ります。確かに聞き覚えのある声です。 「えーっ、もしかして、スキー場のおばちゃん!?」 「そうだよ! 元気だったかね。」
私は受話器を持ったまま飛び上がりました。その声の主は、私が大学1年生の冬休み、友人のピンチヒッターでアルバイトに行った民宿のおばちゃんでした。初めての雪国。軒先の大きなつらら越しに見た景色の美しさに感激し、はしゃいでいたのも束の間、民宿の仕事の大変さに私はたちまち後悔したものでした。
朝は5時に起きて朝食の準備をし、後片付けが終わると部屋の掃除。最もショックだったのがトイレ掃除でした。「トイレは、掃除する人のことを考えて使おう!」便器に向かって何度も叫んだものでした。午後に休み時間がありましたが、私はスキーをしたことがなかったので、おばちゃんとコタツでお茶を飲んで過ごしました。息子さんしかいなかったおばちゃんは、私のことをかわいがってくれて、時にはディスコに連れて行ってくれました。
あるとき、大阪大学の学生さんが、 「おばちゃんとこの娘さん、中学何年生?」と、聞いているではありませんか! 「中学生じゃありません! それに東京からアルバイトにきているんです。」 「へっ! そうなの?」
しきりに恐縮し、お詫びに翌日スキーを教えてくれました。おばちゃんと仲が良かったので親子だと思ったそうです。(それにしても、中学生だなんて……。今だったら若く見られるのは大歓迎ですけど。)
先日、インターネットでスキー場を検索していたら、見覚えのある民宿があるではありませんか。あれから二十数年経っているし、アルバイトは何人もいるだろうから、きっと私のことは覚えていないだろうなと思いながら、メールを出してみたのです。
それから1週間ほどしてからの電話でした。 「アナウンサーになりたいって言うから心配してたんだよ。インターネットはできないけど、息子からメールのことを聞いて電話したんだよ。」
温かい話し方をきいていたら、あのとき1週間でホームシックになり、父から届いた手紙を読みながら涙を流した情けない自分の姿が思い出されました。
おじちゃんは耳が遠くなってしまったそうですが、お孫さんもできて、がんばって民宿を続けていると言っていました。わずか2週間程でしたが、私には忘れられない思い出です。電話を切ると、急におばちゃんが漬けた野沢菜が食べたくなりました。インターネットはまるでタイムマシーンのように、学生の頃の私に会わせてくれたのでした。