祖母が入所している老人介護施設に面会に行ったときのことです。一日中車椅子に座ったままでは歩けなくなってしまうと思い、祖母の手を引いて散歩することにしました。といっても、祖母はエレベータを怖がるので外に出るわけにはいきません。祖母が入所している3階の回廊を歩くことにしました。日がさんさんと降りそそぐ回廊は、2分もあれば1周できます。でも、祖母の歩みは思った以上に遅く、私はすぐに「歩いてみようか」と言ったことを後悔しました。杖と私の手が頼りです。ギュウッと私の手を握りしめるので痛くなりました。幼いころは、よくこの祖母の手に引かれて歩いたものでした。大好きな手でした。
そのときです。私たちと反対方向に車椅子で回っている男性を見て、祖母が言いました。 「ほらほら、前からおじいさんがくるよ。いくつぐらいかねぇ。」 「聞いてみようか?」 そのおじいさんは、硬い表情でひたすら車椅子を動かすのに夢中です。どんな反応が返ってくるか心配でしたが、私は声をかけることにしました。 「こんにちは。」 すると、さっと車椅子を止め、一瞬にして顔中しわくちゃにして、これ以上の笑顔はないという表情で「やあ、こんにちは。」と、返してくれました。
もちろん、祖母もニッコニコです。私をさえぎるように祖母が話し始めました。 「お元気そうですね。おいくつなんですか?」 「いやあ、こんな白髪頭で、歯もないけれど、まだ若いんですよ。84歳です。」 ニッと笑ったその口には、たしかに歯が2、3本しかありませんでした。すると祖母は、 「本当だ、若いねぇ。わたしなんか、もう90過ぎてるんだから、まだまだ若いよ。」 いつも自分の年齢もわからないのに、このときはしっかり受け答えしているので、びっくりしていると、更に祖母が、 「若いからまだ歯が生えてないんだね。これからだね。楽しみだねぇ!」 (えっ?) でも、この言葉に、ふたりは大笑い。。祖母の歩みは幾分元気になりました。
しばらくすると、また正面から先ほどの男性がやってきます。 「こんにちは。いいお天気ですね。」 ふたりは、初めて会ったように挨拶を交わします。記憶はおぼろげだけれど、その時々で一生懸命に世間話している姿に、愛おしさを感じました。そして、顔と顔を見合わせて話をすることが、いかに人をイキイキとさせる力があるのかを実感したひと時でした。