小学生の頃、男の子達にいじめられている女の子がいました。彼女は大人びていて、「モナ・リザ」に似ていました。無口で勉強はあまり得意ではありませんでした。男子に口汚くからかわれると、よく教室を飛び出しました。私達は彼女を校庭まで追いかけていって慰め、教室に連れ戻したものでした。
ある放課後、私が教室に戻ると彼女がひとりで笛の練習をしていました。間もなく笛のテストがあるのです。曲の始めのところでつかえてしまう彼女に、私は指使いを少しだけ教えてあげました。
その日、初めて一緒に帰りました。別れ際、彼女が小さな声で「うちに寄っていく?」と言うので、私は彼女の家を訪れることにしました。彼女が入っていったのは、なんと!同じ学年の友人の家でした。庭の小さな離れに、一家は間借りしていたのです。いつも友人に命令口調で指図されているわけが、この時わかりました。台所からジュースを持ってくると、彼女は自分のことを話し始めました。複雑な事情で父親がいないことや、母親に楽をさせてあげたいから早く就職したいということを淡々と語りました。帰り道、父親に会いたくても会えないという彼女の気持ちを考えると、私は涙が止まりませんでした。私の知らない世界を背負っている同級生の、謎めいた"モナ・リザの微笑み"の秘密を垣間見たような気がしました。
それから2週間、彼女の家で笛の練習をしました。いよいよテストの日、どうせ途中で吹けなくなってうつむいてしまうだろうという大方の予想を裏切って、彼女は最後まで吹くことができました。期せずして拍手がおこり、彼女は私をチラッと見て遠慮がちに微笑みました。
中学生になると、彼女は吹奏楽部に入部し、文化祭ではステージで堂々と演奏していました。でも、以前のように話すことはありませんでした。
あれから30年。ある日、講演を終えて楽屋に戻ると、「まきちゃーん、私のこと覚えてる?」ふっくらとした女性が、飛びついてきました。一瞬戸惑っていると、「私、太っちゃって!」と言って、体を揺らしながら声をあげて笑いました。なんと!彼女だったのです。結婚し子どもに恵まれ、居酒屋さんを開いているという彼女。あの頃の翳りはすっかり消えて逞しさに溢れていました。憂さを晴らしにやってくるお客さんを温かく迎えているであろうことが、人懐こい笑顔からうかがえました。30年という歳月が、「モナ・リザ」の口をあけ、高らかに笑うようにしたのです。それは、まるで肝っ玉母さんのような「モナ・リザ」でした。