夕食後、仕事の打ち合わせをしていたら、息子から電話がありました。 「蟹が届いているんだけど、どうしよう? なんか動いているみたい。」 「えーっ、生きているの?」
それは一大事。打ち合わせもそこそこに慌てて帰宅しました。発泡スチロールの箱のふたをあけてみたら、中には大きな蟹がいました。ゴツゴツした茶色っぽい甲羅で、盛り上がっています。タラバガニでした。すっきりしたズワイガニとは違って、それはまるで映画にでてくる「ガメラ」のように思えました。しかも、口のところにある触覚のようなものが動いているではありませんか!
函館で仕事をした折、蟹を送ってくださると言っていたことを思い出しました。まさか、生きたまま送られてくるとは! 「わあ、よく来たねー! 大変だったでしょう?」 私は興奮していました。この時点で私の中には"食べ物"という認識が消えていました。まな板の上に乗せテーブルの上に置くと、 「はい、タラちゃん、こっち向いてー。」 カシャッ! 私は夢中で写真を撮りました。 「タラちゃんて、何のこと?」 「タラバガニだから『タラちゃん』。かわいいでしょう!」 まな板の上からはみだしているタラちゃんは、私が声をかけると、私のほうを見てくれたような気がして、私はしだいに愛着を感じるようになりました。
夫も、蟹には目がありません。今夜は残業だといっていたのに、仕事を放り出していそいそと帰ってきました。夜10時。夕食はとっくに済ませたけれど"蟹は別腹"。夫が準備を始めました。そのとき、私が「待った」をかけました。
「タラちゃんは、食べない。タラちゃんはお風呂で飼うことにする。」 えーっ! そのひと言に、夫も息子も唖然としました。はるばる我が家までやってきたタラちゃん、可哀想で食べられません。稚内の市場に行ったとき、大きな水槽の中に蟹がたくさんいました。海水と同じような状態を再現すれば、浴槽で飼えるかもしれないと思ったのです。私たちはシャワーを使えばいいと説得しました。
30分後、我が家には、甘く香ばしい蟹の香りがたちこめました。結局、私の申し入れは聞き入れてもらえず、夫の手によって、タラちゃんは真っ赤な色に変わっていました。「タラちゃん、ごめんね」心の中で詫びながらひと口食べたら、そのおいしいこと! さっきまでの私はどこへやら、無心に蟹を食べ、幸せな気持ちに浸りました。
昔から、車でもなんでも愛称をつけるのが好きでしたが、食べ物に名前をつけると食べにくくなってしまうということをつくづく感じました。