その朝私は寝不足気味でした。仕事で仙台に行かなければなりません。新幹線で眠っていこうと家を出ました。3連休の初日とあって車内は満席。ふたりがけの座席の窓側に座ると、隣に2、3歳くらいの男の子と父親が座りました。父親は私に軽く頭を下げてからシートに腰を下ろし、息子を膝の上にのせました。
新幹線が走り出したとたん、男の子は窓の外を指さしながら話始めました。 「あ、ほら、でんちゃがはしってるよ。」 「ほんとだ。いつもパパが乗ってる電車だよ。」 「あの、たかいぼうみたいなの、なあに?」 「あれは、銭湯の煙突だよ。」 「しぇんとう?」 「大きなお風呂屋さんだよ。おうちのお風呂が壊れちゃったときに行っただろ。」 とにかく目に映るものを端からきくので、父親も大変です。
私は睡眠不足を解消しようと目を閉じていたのですが、親子の会話がおもしろくて眠るどころではありません。ついにおかしくて吹き出してしまいました。うるさくて申し訳ないと恐縮する父親に、ほのぼのとした会話で心が和んでくると言いました。
やがて、ふたりとも眠ってしまいました。男の子は父親の向こう側にいるようで私からは見えません。私はコーヒーを買い、クッキーを食べようとピリッと袋を開けたら、坊やがそっと顔を出したのです。眠っていなかったのです。父親が眠ってしまったから仕方なく黙っていたようです。
私は声を出さずにクッキーを指さし、「食べる?」と、口を動かしました。すると、人さし指を口にくわえ、コックリとうなずきました。私がクッキーをさしだすとニッコリ笑って食べ始めました。眠っている父親をはさんで、私たちはニコニコしながらクッキーを食べました。その気配に父親が目をさましました。すると坊やが、 「おねえちゃんがくれたんだよ。」 と、言うではありませんか! 「お・お・おねえちゃん」って、もしかして私のこと!? 天使の羽でくすぐられたような快感をおぼえて、私は嬉しくなりました。なんて素直な子! 勝手にお菓子をあげてしまったことをお詫びすると、ふたりめの子どもが生まれるので、妻の実家に息子を預けにいくことなどを話してくれました。 「ぼく、もうしゅぐ、おにいちゃんになるんだよ。」 口の周りにクッキーのお砂糖をつけながら得意そうに話す男の子。私が降りるとき、見えなくなるまで手を振ってくれた素敵な父子。「おねえちゃん、バイバイ」という可愛い声が、まるで魔法のように私を元気にしてくれました。