その女性は、遠くから私を見つけると、ニコニコして頭をさげてくれました。まるでパッと花が咲いたような笑顔でした。東京練馬区で講演したときのことです。控え室に通されると、またその女性がこぼれんばかりの笑顔で入ってきて、私にお茶をすすめてくれました。どこかでお目にかかったような気がしたのですが、話しかけようとするとスッと視線をはずすので、ついにひと言も話せませんでした。でも、まっすぐに私に向けられたあの笑顔は、なにか言いたげで心に残りました。
それからしばらくして都内の別の場所で講演したとき、主催者の女性たちのなかに、練馬で会ったあの女性の姿がありました。彼女は再び「笑顔の花束」で私に話しかけてくれました。次の瞬間、私はおもわず彼女の口元に耳を近づけました。聞き取れなかったのです。
「村松さんにお会いするのは、これで3回目です。」 騒がしい会場の片隅で、彼女はニコニコしながら私にそう言いました。でも、確かに口は動いていますが、声は出ていませんでした。彼女は、息で話していたのです。
喉頭癌で声帯をとらなければならず、声を失ってしまったのだそうです。子育て真っ最中だったので、子どもに絵本を読んであげることもできず、叱ることもできず、保護者会で話もできない自分を悲しく思い、落ち込んだそうです。でも、わが子と話したい一心でカラオケに通い、歌をうたうことで発声練習をし、その甲斐があって腹式呼吸を身につけ、近い距離だったらなんとか会話ができるようになったのです。それを聞いて、彼女の笑顔の秘密がわかったような気がしました。相手に対する親近感を人一倍笑顔に託すのが上手になったのです。そんな彼女でも、大勢の人の前で話すのは苦痛だとおっしゃいました。
そういえば、埼玉県でお会いした年配の男性は、庭で倒れて頭蓋骨を骨折し、額の一部が陥没してしまったため、人前で話すのが厭でたまらないとおっしゃっていました。
そういうときは、話し始める前にひと言断っておけばいいのです。 「私は声帯をとってしまったので聞き取りにくいと思いますが、一生懸命話しますのでよろしくお願いします。」
「僕は庭で倒れ大怪我をして額がへこんでしまいましたが、今はもう大丈夫ですのでご心配なく!」
こんなふうに、はじめにひと言明るく言っておけば、皆の顔色をうかがいながら話さなくてすむはずです。はじめのひと言が、自分の心と聞く人の心を軽くする鍵を握っているのです。