祖母は、94歳。痴呆症です。両親が在宅介護をしていますが、父は腰を痛め歩けなくなり、母は疲れとストレスで、咳がとまらなくなってしまいました。このままではふたりとも倒れてしまうと、やむなく、ショートステイを利用することにしました。 先日、祖母がお世話になっている施設に洗濯物を届けに行きました。午後3時、おやつの時間でした。係りの人に手をひかれ、杖をつきながらゆっくり歩いてきた祖母は、私の顔を見るなり、にっこり笑いました。 「来てくれたのかい? うれしいよぉ。私の姪っ子だよ!」 「違うでしょ、おばあちゃん。まきこだよ!孫でしょ。」 「おや、そうかい。まきちゃんかい。ありがとうよ。よく来てくれたねぇ。」 祖母は、おやつのどら焼を、私に半分わけてくれました。私達は、お茶を飲みながら、暫くおしゃべりしました。と、いっても、話はかみあいません。祖母は、時には「早く帰らないと母さんに叱られる」と、幼な子になったり、時には「夕飯、なににしよう。3人ともなんでも文句言わずに食べてくれるから助かるよ。食べ盛りだからたいへんなんだよ。」と、子育て中の母親になったり……。過去と現在の記憶の狭間をゆらりゆらりと漂っています。 「人一倍、働かなくちゃあね!」 「夕飯はあるもので済ませよう。」 話のあちこちに散りばめられた言葉に、結婚してから80年近くになる祖母の、毎日の暮らしがしのばれました。 祖母の記憶は、まるで、穴だらけのジグソーパズルのようです。でも、ただ1ヶ所、ぴたりと記憶のパズルが詰まっているところがあります。それは、結婚して間もなく、脊髄の病に倒れ寝たきりになってしまった夫のことです。 祖母が若い頃、毎日夕方になると、橋の下からバイオリンの音色が聞こえてきました。行ってみると、端正な顔立ちの男性がバイオリンを弾いていて、祖母は、一目ボレしてしまったそうです。 「『寛一お宮』を、よく弾いてくれてねぇ。ハンサムだったんだよ。写真が嫌いで1枚も残ってないのが残念だね。バイオリン弾いて遊んでばかりいると世間に思われたくなくて、私はよく働いたんだよ。そんなに働かなくてもいいのに、なんて気楽なことを言ってたよ。生きていれば、今頃は、のんびりできたのに、早く死んじゃったから……。」 「屋根の上のバイオリン弾き」ならぬ「橋の下のバイオリン弾き」は、今も祖母の記憶の中で、輝いているのです。