自宅近くに障害者の方たちが働く作業所があります。マドレーヌを焼いたり牛乳パックで和紙を作ったりしています。先日名刺を注文しに行ったら、顔なじみの方たちがニコニコしながら集まってきました。そのなかに見慣れない顔が、じっとこちらをうかがっていました。その男性は、おどおどしながら話しかけてきました。
「村松さん、僕のこと覚えていますか?」「……?」「いつか電話で話したことがあって、あの頃、僕は病気がひどくて、村松さんに迷惑かけちゃったから……。ずっと気になっていて……。」
その言葉を聞いたとたん、私の心のかさぶたがズキン!と痛みました。
NHKの「イブニングネットワーク首都圏」のキャスターをしていた頃、帰宅するのはいつも夜9時半頃でした。その日、息子は朝から熱があり、早めに寝かせようと思っていたら電話が鳴りました。数日前に我が家を訪ねてきた近所の女性からで、障害のある息子さんが私と話したがっているので電話を代わるというのです。電話口から弾んだ声が聞こえてきました。
本当は断りたかったのですが、我が子を思う母親の気持ちを考えると「明日にして」とは言えず、私は話し始めました。ところが、話は一向に終わりそうもなく、息子はぐずり始めました。私はお腹もすいてイライラしてきました。すでに30分も過ぎていました。私は、「子どもがぐずっているので電話を切らせてください。」と言いましたが、彼は次々に質問してきました。抱き上げた息子の泣き声は益々大きくなりました。ついに私は、「話をしたいのなら明日の午前中に電話してください。子どもの具合が悪いのでもう切ります!」と、言いました。すると突然、彼は泣き叫びだしました。あまりの激しさに私は絶句しました。電話の向こうでちょうど父親が帰ってきたらしく、興奮する息子から電話をとりあげ、いきなり私を怒鳴りつけました。「息子になにをした! こんなに興奮させて! 一体何を言ったんだ!」
そう言うと、プツンと電話は切れました。一生懸命応対したのに、なぜ怒られなければいけないのか、やりばのない怒りと切なさで、私は息子を抱きしめオイオイ泣きました。
あれから10年。もう少し他のやり方があったのではないかしら、という自責の念が、心の中でかさぶたのようになっていきました。
「……こちらこそ、あの頃は余裕がなくて、ごめんなさいね。」
やっと言えたと思うと、嬉しくて嬉しくて目頭が熱くなりました。10年かけてできてしまった心のかさぶたが消えた瞬間でした。