ある日、ヨチヨチ歩きの息子と散歩をしていたら、「あっ、タックンだ。タックーン。」と、大きな声がしたので、振り向くとそこには「キリン堂のおばちゃん」が立っていました。「タックン、きょうは、おばあちゃんじゃなくてママと一緒なんだ、よかったねー。」と、ニッコニコ顔で言うので「いつもお世話様です。」と、挨拶しました。
ふたことみこと話した後、おばちゃんは私の顔をまじまじと見て、「あれ、どこかで見たことある人だね。」と、言いました。「あー、NHKのテレビに出てる人だー!」と、言って私の肩をポンと叩きました。「いやだー!お化粧してないから分からなかったよー!」おばちゃんは、はしゃいでいましたが、私は複雑な気持ちでした。それが、キリン堂のおばちゃんとの初対面でした。
息子が生まれると同時に私達は、調布市から国分寺市に引っ越しました。我が家から歩いて一分程の所に、「キリン堂」という駄菓子屋さんがありました。薄暗いお店の中には、懐かしいふ菓子や飴玉、みかんガムや味付けイカ、紐のついたキャンディーや紙風船までおいてあって、昼間は十円玉を握りしめた小学生で、夕方はクラブや塾帰りの中学生が集まって賑やかです。おばちゃんは、いつも大きな声で話します。子ども達は、学校でのできごとやお母さんに叱られたこと、友達とけんかしたことなどを次々と話すので、おばちゃんは、店番をしながら大忙しです。時にはお説教もします。万引きをした子には、思いきり叱ります。でも、お金を持っていない子には、皆に内緒で、好きなお菓子をあげたりもします。
ある夕方、女の子が泣きながらやって来たことがありました。学校から帰ったら、いつもいるはずのお母さんがいなくて、夕方になっても帰ってこないので心細くなり、キリン堂に来たそうです。おばちゃんは、「おーおー、かわいそうに、もう大丈夫だよ。泣かなくていいよ。お母さんが帰ってくるまでここに居ていいからね。」と言って、女の子を店の奥の座敷にあるこたつにあたらせ、カップラーメンをあげたこともありました。
「この間もね、『おばちゃん、僕のこと覚えてる?』ってね、背広着た男の人が来たの。よく見たら、昔このあたりに住んでいてよくうちに来てくれた子なのよ。就職してお給料でたから、おばちゃんにお小遣いあげるってね、三千円もくれたのよ。私もうびっくりしちゃって、嬉しくって泣いちゃったわ。『おばちゃんをごまかして、お菓子いっぱい取っちゃったこともあるから許して』だって。」そう言っておばちゃんは涙ぐみました。初めての子どもを、おばちゃんに見てもらいたくて訪ねて来る人もいるそうです。「あのワンパク坊主がこんなに大きくなって、子ども連れてくるんだから、私も歳取るわけだね。」このへんの男の子は、ほとんどが、おばちゃんに弱みを握られているのです。
そんなキリン堂が、ついに店じまいとなりました。通りから、子ども達の歓声がふっつりと聞こえなくなりました。おばちゃんの具合が悪くなってしまったのです。八十歳を過ぎて、急に腎臓と目が悪くなってしまったので泣く泣く店を閉めたのです。
中学生になった息子が、先日学校から帰ってくるなり言いました 「キリン堂のおばちゃんが変なんだよ。大きな声で話して笑っているから、誰と話しているのかと思ったら、猫だったよ。大丈夫かなぁ。」
いかにもおばちゃんらしいと、私は大笑いしました。久しぶりに会った時、ポケットからつかみきれないほどの飴玉を、手のひらにのせてくれました。「わあ、こんなにたくさん!」「タックンのぶんもあるんだよ。」(そうだった!)おばちゃんのポケットは、今も飴玉でいっぱいなのです。「キリン堂」をやめたくなかった気持ちが、痛いほど伝わってきました。長い間、地域の子ども達を温かく見守ってくれた「キリン堂のおばちゃん」、今までありがとう。そして、これからも元気でね。