月刊公民館にこのエッセイを書き始めたのは、2003年4月号から。それは「会話のキャッチボール」というタイトルでした。当時国分寺市の教育委員をしていたので、中学校の卒業式のことを書きました。卒業証書授与の後、生徒たちが企画した「卒業の言葉」が披露されました。中学校3年間の想い出を体育館の舞台でひと言ずつ語り始めたのです。高校受験に失敗したことを話した男子生徒がいました。掲示板に自分の番号がなく不合格だったことを、母親にはがっかりさせたくないので、笑顔で「ダメだったよ」と告げ、自分の部屋に入って思い切り泣いた……と。共感しすすりなく声が一段と大きくなりました。ちょうど息子が中学生で、会話が減り何を考えているのかわからず悩んでいた私は、思春期の子も、言葉にしなくとも悩み、もがき、思いやりの心を持って生きているのだということを教えてもらいました。会話のキャッチボールはできなくても、心の中でグローブを構え、いつでも息子の心の声をキャッチできるようにしようということを書きました。
その息子も就職し、結婚しました。単身赴任生活を楽しんでいた夫も退職し、戻ってきました。4人の父母も他界しました。14年と6か月!じつにいろいろなことがありました。
2004年11月号に書いたのは「魔法の言葉」。秋田県に講演に行くため新幹線に乗った時、隣に座った3歳のぼうやが、私のことを「おねえちゃん」と呼ぶので、びっくり!久しぶりに聴く心地よい響きに、一気に眠気が吹き飛んだというエピソードを書きました。照れ臭かったけれど、「お姉ちゃん」という言葉は魔法の力があると実感しました。
講演先で、分厚いノートを見せてくれた女性がいました。私のエッセイのページをノートに貼って本のようにし、公民館を利用する方達にもお貸しして、皆さんに読んでいただいているそうです。このような出会いは、私のエネルギーの素です。
このエッセイは“声に出して読む”ということを念頭に置いて書いています。そこで、これまで書いてきたものの中から数編を選んで朗読しようという舞台を企画しました。11月7日に行います。文化庁芸術祭に応募したところ、参加が認められました。当日は「こんにちは」という挨拶から始まった素敵な出会いをご紹介します。(ご案内はこちら)
エッセイはすべて私のホームページでご覧になれます。朗読してほしいというリクエストがありましたら、ホームページの「お問合せ」にご連絡ください。