新しい年、笑顔の出番の多い1年になりますように!
先日クリームシチューを作っていて、「今なら言える!」と思ったことがあります。大学生の時、帰宅すると、見知らぬ女性が祖母と両親と4人でこたつを囲んでいました。彼女は涙をぬぐって私に挨拶しました。雨の中、国勢調査のアルバイトをしていたのですが、玄関先で嫌な顔をされ続け心が折れそうになり、あと1軒だけがんばろうと我が家のチャイムを押したのだそうです。すると、寒いからと茶の間に通され、焼き立てのお餅が出てきて驚いたそうです。その歓待ぶりに思わず泣いてしまい、身の上話を始めたのです。私より少し年上のその人は、父親の暴力から逃れるために、母親と兄弟と東北から逃げてきました。新生活を始めようと思った矢先、ひき逃げ事故にあい、目も不自由なので、なかなか仕事が見つからないと嘆いていました。彼女は時々我が家を訪れるようになりました。
私は「お姉さん」と呼んで慕っていました。仕事が見つかり独り暮らしを始めたというので、お姉さんのアパートに遊びに行ったことがあります。クリームシチューを作ってくれました。穏やかな暮らしぶりが伝わってきました。その時出されたロールパンに、カビが生えていたのです。お姉さんは目が不自由だったということを思い出しました。カビのにおいに気がついてくれないかと期待したのですが、ダメでした。私は言うべきか、悩みました。でも、言ったらお姉さんが傷つくと思い言えませんでした。気づかれないようにカビの部分をむしり取ってカバンの中へ入れて、カビのないところを食べました。お腹が痛くなってもいいから、カビのことは内緒にしなければ!と、思ったのです。
あれから数十年、今なら「あら、お姉さん、このパン、カビが生えてるよ」と、素直に言えると思ったのです。私が帰った後でパンにカビが生えていることに気がついたら、「なぜ言ってくれなかったの!?」と悩んだはずです。私が我慢していたのではないかと、気になったことでしょう。それは、自分ではどうすることもできない、目が不自由であるということをつきつけられることになります。心に“遠慮”という壁ができてしまうのです。あの時、カビのことを伝えれば、目が不自由だということが、二人にとって障がいではなくなったはずです。隠すのではなく、受け入れることが、心のバリアフリーにつながるのです。あの時わからなかった答えを、多くの方たちとの出会いから教えていただきました。