私にとっての「幸せな味」、それはつきたてのお餅です。幼い頃、我が家では暮れも押しつまってくると、叔父も加わって家の南側の空き地でお餅つきをしました。たいていその年の最後の土曜日か日曜日でした。前日から母は小豆を炊いて、あんこをたくさん作っていました。当日は朝早くから、餅米をせいろで蒸かします。薪を使っていたのでパチパチと音がして火の粉が飛んでいました。やがて白い蒸気がふわーっと上がると、木の臼に水を打ち、祖母が待ち構えていました。母が臼に餅米を入れると、父と叔父が杵でつき始めます。ひとつきごとに、お餅が真ん中に来るように、祖母が手を入れていました。祖母の手を杵でついてしまわないか心配しましたが、見事な連係プレーでした。「はい!はい!」という祖母の掛け声と、ぺったんぺったんという音は忘れられません。
その音をきいて、近所の子どもたちやお年寄りが集まってきます。子どもは走り回ったり、時々杵を持たせてもらったりしながら、つきあがるのを待ちました。つきたてのお餅は縁側に運ばれ、ひねり餅にして、大根おろしと絡めたり、きな粉やあんこで食べました。喉ごしが良く、ツゥルっと食べられます。これが楽しみで集まってくるのです。「きょうあたりかと思って待っていたよ」「お天気でよかったね」と、近所の皆さんも楽しみにしてくれていました。大勢で縁側に腰を掛けて味わいました。祖母は、お餅に打ち粉をして長い棒をくるくる回し、四角く伸ばしていました。面白そうだったので、一度せがんでやらせてもらったことがあります。簡単そうに見えたのに難しくて、途中で祖母にバトンタッチしました。大人になったらできるだろうと思っていたのに、大人になってからはお餅つきする機会はありませんでした。
当時は、これがずっと続くと思っていましたが、いつからか、臼と杵は出番がなくなってしまいました。広場が駐車場に変わってからも、玄関前で何回かお餅つきをしましたが、やがて臼と杵は物置にデンと置かれたままになり、家を建て替える時に処分してしまったようです。
毎年、お正月用にお餅を買いますが、あのつきたてのお餅ほどおいしいお餅に出合ったことはありません。自宅でお餅つきをする家は、あまりなかったので、子ども心にも自慢の味でした。目をつむると、張り切っている祖母や両親の顔と共に、口の周りをあんこだらけにして遊んでいた弟の顔が浮かんできます。幸せな味は、胸がきゅんとなる思い出です。