父が他界し、一人暮らしだった母を訪ねた時のことです。テレビでは終戦の特別番組が放送されていました。母が1枚の写真を持ってきてくれました。セピア色の写真に写っていたのは、若い兵隊さんでした。母のお兄さんだそうです。
母は両親と兄の4人家族でしたが、幼い頃に母親が病死してしまいました。父親は毎日仕事に行くので、母は兄に面倒を見てもらったそうです。兄が小学校に通い始めると、幼い妹を一人で家に残すわけにもいかず、兄は妹の手を引いて学校に通いました。心無い同級生から、よくいじめられました。妹をいじめる子には体を張って守ってくれました。石が兄のおでこにあたり、血を流しながら帰ったこともあったそうです。校庭から背伸びして教室のなかを覗いている姿を見て、兄の横に席を用意してくれた先生もいたと、嬉しそうに言っていました。
そんな兄が戦争に行くことになりました。父親はすでに出征していたので、母は一人で見送ったそうです。出征する前に家族が会いに行くことが許された日がありました。母は大好きな兄に会えるのに、悲しくて仕方なかったと言います。なぜなら、美味しいものを差し入れしたいのに、何もなかったからです。他の家族は、重箱に美味しいものをたくさん詰めて差し入れをしていました。最後に美味しいものを食べさせたいと思うのは、だれしも同じでしょう。でも、生きるのが精いっぱいな時代、家にはたいしたものもなく、寂しい面会となってしまったと言っていました。お兄さんが守ってくれたからこそ自分は生きてこられたのに、そのお返しが何もできない……。そんな無念な思いで苦しかったと、母は言いました。
いつも前向きで、冗談を言っては私たちを笑わせてくれた母が、初めてお兄さんについて話してくれました。父親と同様、お兄さんは戦死しました。戦地で栄養失調のために亡くなってしまったのだそうです。美味しいものを食べることもできず、楽しい思いをすることもなく死んでしまった兄のことを思うと、胸が張り裂けそうだと言っていました。「戦争さえなければねえ…。」そう言って、涙ぐんだ母を思い出します。
差し入れに何を持っていったのか、どんな会話をしたのか、いろいろ尋ねてみたいことがあったのですが、言葉にすると泣いてしまいそうで、また次の機会にと思ってやめました。あれが、母と過ごす最後の夏になるとは、思ってもみませんでした。もっとお兄さんや戦争中の事をきいておけばよかった。無念でなりません。