「公民館の人に誘われて、街の看板作りのお手伝いをした。看板を見るたびに、私たちが作ったのだとうれしくなる」
「お年寄りの施設で歌をうたうボランティアに参加し、恥ずかしくていやだと思っていたのに、『ありがとう』という言葉と笑顔を見てうれしくなった」
「祖母に連れられ地域のごみ拾いに参加したら、5人しかいなかった。しかもお年寄りばかり。若い人が参加することが大事だと思った」
「祖父母の住んでいる地域の炊き出しに参加したら、普通の豚汁の他、高齢者が食べやすいように具材が細かい豚汁、減塩みそ使用の豚汁があり感動した。自分は消極的だけれど、参加して『うれしい』と感じたことがボランティアをする上で大事なことだと思った」
これらは、NPO法人さわやか青少年センターが主催する「ふれあいボランティア活動」の感想文に書かれていたものです。全国の小中高校生から719点の応募があり、その審査員をしました。どれも素晴らしくて、評価が大変でした。それらを読んでいたら、小学生の頃のことが思い出されました。
小学5,6年時の担任だった先生は、「校庭に落ち葉がたくさんあるから、これから掃除をするぞ!」と言いました。私たちは授業がなくなるので内心バンザイをしました。落ち葉をすべて掃き集めて、リヤカーに乗せて何度も焼却炉まで運び、徹底的にきれいにしました。勉強の苦手な男の子が、無駄口もきかずに一生懸命働き、鼻の頭に汗をかいている姿を見て、かっこいいなと見直したことを覚えています。勉強やスポーツだけではない評価軸があることを知りました。私たちは、学校内だけでなく、通学路のごみ拾いなども進んでする習慣がつきました、不思議なことに、皆しだいに勉強にも集中するようになりました。今だったら、授業もしないで子どもたちに掃除をさせるなんて、きっと大問題になるでしょう。先生の「奉仕の心は生きる糧になる」という言葉が心に残っています。その先生が退職される前、校長を務めている小学校を訪ねたことがあります。校長先生が始業前に学校の前の道の掃除をしていたら、児童たちが手伝ってくれるようになったと、うれしそうにおっしゃっていました。
今回拝見した作文の中に、「ボランティアは見返りを求めず、自分から進んで人の役に立つことであり、そのためには勇気も必要なのだと気づいた」「ボランティアの報酬は、達成感や充実感、人を笑顔にすることだとわかった」ということがつづられていました。改めて、ボランティアは生きる糧になるのだと納得しました。