あの日、私は八王子市の実家にいました。父が他界し一人暮らしの母が寂しいだろうと、仕事がない日は遊びに行っていたのです。コーヒーを飲みながら父の思い出話などをしていたら、ふと眩暈を感じました。次の瞬間、「お母さん、地震!」と叫びましたが、母は慌てるようすもなく「このうちは頑丈だし、お父さんが守ってくれるから大丈夫!」と言っていました。5年前に建て替えた家は耐震構造で、唯一父の遺影が壁から落ちただけでした。母は、「ほら、お父さんが落ちてくれたから、大丈夫だったんだ」と言っていました。テレビでは、大津波が沿岸部を襲い大きな船や家が丸ごと流されている映像が映し出されていました。母と一緒に、なす術もなく茫然と画面を見つめ続けました。
あの日の夜、自宅に帰る道は大渋滞!1時間もあれば帰宅できるのに、4時間以上かかったのを覚えています。やっと自宅につくと、2階のたんすの引き出しは途中まであいてしまい、まるで泥棒が入ったようでした。大学卒業を控えた息子は、机の上の本箱から本がどっと落ちてきたので、机の下に潜ったそうです。本は凶器だと言っていました。時間がたつにつれ、福島第一原子力発電所の被害のようすが伝えられました。
あれから10年。津波の被害が甚大だった地域では、防潮堤が築かれ海辺のようすは一変しました。福島第一原子力発電所の事故処理は今も手探り状態ですが、日常生活の中では多くの人の記憶から薄れつつあるのではないでしょうか。故郷を失った方々の思いも忘れてはなりません。被災1か月後に救援物資を用意して現地に行きました。地震の前に講演させていただいた公民館が、病人の収容所になっていたり、公民館の職員が遺体安置所の受付をしたりしていました。館長は家を流され公民館に寝泊まりし、行方が分からない家族を探していました。生きたくても生きられなかった人の分まで、がんばって生きなければ!という言葉が、今も心に残っています。
2011年の大震災を忘れないために、そしてこれから予想されている大地震に備えて、3月11日、私が理事長を務める財団では「3.11メモリアルトーク」と題した講演会を行います。市民防災研究所の池上三喜子さんの講演、また長年支援活動を行ってきた芥川麻実子さんが書いた童話「フクシマのウシ」も朗読します。原発で取り残された牛の物語です。入場無料ですが、申し込みが必要です。あの日を忘れず、これからを生き抜くために、皆さまぜひお越しください。